集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

想い出 日記

スキャンダルが薄める「桜を見る会」

夜の休息時間はテレビタイムである。報道番組が連日伝えるのは、総理が関わる「桜を見る会」、そして麻薬関連でタレント逮捕、さらに日韓問題といったところでしょうか。 そのような折、駅前を通りがかったので、昔のサラリーマン時代を想いおこし夕刊紙「日…

ソプラノリサイタルを聴く

きょう午後は、歌好きの友人からソプラノリサイタルの入場券が届いたのでコンサートホールを楽しみました。まったくといっていいほど歌とか音楽に関心のない生活を送っているものだから戸惑いながら参加しました。 ソプラノ歌手は、なかなか有名な人らしい。…

「金の卵」「あなたは誰ですか」に釘付け

日曜日の朝、いつもよりゆっくりした朝食を取りながら「朝日新聞」を読み始めた。1面の見出し『「早く見つけて」無言の叫び』に釘付けでした。2面15段はすべてその続き記事である。しかも見出しには「金の卵」とか「孤独死」の言葉がある。 よく見ると、…

生きるために働く~老後レス時代

高齢化が進み100歳が普通になろうとしている。また格差の広がりや貧困層の増加に歯止めがかからない。大きな社会問題であり政治の課題である。 朝日新聞は10日付けから「老後レス時代 エイジングニッポン」の連載記事を掲載した。単なる平均像で記事を…

「社員の幸せ」を目的に企業成長

セブンイレブンをはじめとしたスーパーやデパートの閉店が話題になりました。それは企業のリストラ、人員削減がついて回る。それは「首切り・解雇」ですから、家族を含めた人生設計が崩れることに直結する。 そうしたなか朝日新聞15日付コラム「経済気象台…

集団就職と紡績女工

いま仲間たちと世界遺産「富岡製糸場」をめぐるバスツアーに取り組んでいる。 すると奇遇にも「紡績女工」にまつわる話が飛び込んでくる。22日付の朝日新聞は「寅さんを探して」の記事を掲載している。その話題は、新潟から「紡績女工」として「集団就職」…

コンビニ1000店舗閉鎖の転機

コンビニのセブン・イレブンが1000店舗も閉鎖するといったニュースが伝えられた。驚きであるが、それほど小売業にとっては転機の時期ということでしょうか。 朝日新聞によると、小売業の転機は、三越前身の越前屋が掛け売りから現金販売を始めたこと、ダ…

梅雨寒もよう30年前に似る

畑の野菜の成長が思わしくない。きゅうり、ナス、トマトなど真っ盛りの時期なのにどうも育ちがよくない。仲間に聞くと、この時季にしては、気温が低くお日様も出ていないためらしい。それは確かである。 気象情報を見ていると、この「梅雨寒は31年ぶり」と…

もてはやされた「派遣」女性はいま?

朝日新聞8日付け1面に「非正規の女性置き去りか」の見出しで連載記事が掲載された。記事の主役は、年金暮らしの73歳の母と暮らす48歳の単身女性のようである。現在は時給1500円の派遣社員として働いている。 最近「老後資金2000万円不足」が話…

参議院選挙で消費税10%をストップさせよう

街を歩いていると「21日は参議院選挙の投票日です」と投票を呼びかける広報車が通り過ぎた。そうか「参議院選挙」が始まったんだと思い知らされた。このブログで秋の消費税アップをストップさせるには参院選で安倍与党に痛打を浴びせることが大事だと主張…

後期高齢者がパート収入に頼るわけ

老後生活と2000万円問題は、様々な問題を含みながら”燎原の火”のように広がっているようだ。後期高齢者の一人として、どうも釈然としないこともある。というのは、一般論として年金制度を議論するものが多く、現役後期高齢者の実態は語られていないよう…

「馬鹿げたこと」といわずに取り組んでほしい年金問題

めったに怒らない総理・安倍が「馬鹿げたこというな」とことばをあらげたらしい。それは大きな話題となっている「老後資金2000万円」に関連してのこと。 報道によると、老後は年金で安心して生活できるだろうと考えていた人たち。ところが「マクロ経済ス…

文書ねつ造を狙う「公文書」受け取り拒否の重さを問う

マスコミが連日報道している「老後資金2000万円」問題の”本当の問題”がよく分からない。どうも週刊誌の芸能記事みたいに「そのうち忘れられる」ことになりかねない感じもする。 当方が「よく分からない」というのは、老後は年金だけでは暮らしてゆけない…

兄の3回忌と桜の開花と

4月13~14日、兄の3回忌・兄息子の7回忌の「法要」で福島県の真ん中ほどに行ってきました。法要といっても、村の旅館に生存中の兄弟姉妹が集まって想い出を語り合うごくごく身内の食事会といった感じ。もちろんお坊さんのお経などはありません。 兄は…

中学校同級会で62年ぶりの再会

きょう3月9日、都内で中学校時代の同級会が開かれました。ほとんど毎年のように開催していましたが、今回は32年ぶりに会うことができたおばさんがいました。感激でした。 今回は男6人と女5人の11人が参加でした。元々中学校を卒業したのは40人前後…

2月11日、当地は大雪でした

2月11日祝日の朝、目が覚めたら辺り一面真っ白の大雪(といっても2センチかな)でした。当地では今季3回目の雪になりました。これだけ短期間のうちに3回も雪に見舞われることは珍しいことではないでしょうか。 15歳まで育った故郷は北東北の山の中で…

「アパレル不況」だが想い出はいっぱい

きょうの朝日新聞「経済気象台」で「どうなる日本のアパレル」とのコラムを読んだ。かつて「アパレル産業」とか「ファッションビジネス」がカッコよく見えたし、その経営手法についても様々な角度から議論された。ところがコラムは「アパレル不況」との言葉…

映画「億男」を楽しみながら

しばらくぶりに映画「億男」(おくおとこ)を楽しく観ました。 主人公は、小学低学年の女の子の父親。兄の残した借金返済のためにダブルワークで働いているために別居・単身生活している。あるとき別居中の娘と買い物をしていると見知らぬおばあさんから抽選…

オール沖縄勢力の勝利に感謝

沖縄に行ったことはないが、沖縄の首長選には関心をもっている。沖縄県知事選、豊見城市長選、那覇市長選と続いたが、いずれも「オール沖縄」勢力が推す候補が当選した。これを「3連勝」と誇るマスコミもあるが、沖縄県民の意思が明確になったということは…

「幸せ」は金で「買うもの」ではない

我が人生「貧乏からの脱出」の人生である。それが「不幸」であったかどうかはわからない。といって「幸せ」だったかといえば「そんな気持ちにもなれない」のが本音である。 朝日新聞11日付では「お金で幸せになれる?」のタイトルで、著名な方々のインタビ…

懐かしい大豆料理たち

同級会では「郷土食」が話題になった。その筆頭が「豆腐田楽」である。 思うに「豆腐田楽」は豆腐の上に味噌を塗って焼いたものだから、ほとんどが大豆からできている。それを考えると「大豆」(まめ)を材料とした料理の多いことに関心した次第である。 ま…

子どものころのおいしい食べ物は? 

10月7日の同級会で話題になったのが、子どものころの食べ物の話し。 こどものころというのは、昭和27~30年(1955年前後)以前と言えるでしょうか。 村の多くは炭焼きに従事しながら畑作で自給自足に近い生活をしていた。田圃はないため稲作は全…

同級会から昨夜帰ってきました

郷里での同級会に行ってきました。 6日夜、夜行高速バスに乗り、11時間ほどで目的市の中心部に到着(7日朝)。到着して驚いたのは、台風から低気圧に変わった後の”ものすごい強風”だった。町に出ると歩くのがやっとという風に襲われた。買い物を済ませて…

さあ~郷里へ出発だ!

2年ぶりに郷里で同級会が開かれるというので、台風の進路を追いかけながら旅に出かけます。ことしの同級会は、いろんな形で期待されていたのだが、いざとなると参加者は数人にとどまる見込み。至極残念である。 まあそれなりに年齢を重ねたので、連れ合いの…

沖縄を返せ~デニー知事誕生に乾杯

話題の沖縄であるが、沖縄に旅したこともなければ、直接的な利害関係などない当方であるが、9月30日投開票された沖縄知事選には強い関心をもっていた。ともかくデニー知事の誕生に乾杯しようではありませんか。 もう50年ほど前のことであるが、沖縄返還…

野草の根「トコロ」を食べた想い出

「食品ロス」についてメモしたとき、子どものころ「トコロ」を食べていたことを想い出した。トコロというのは、山の草地に自然に生えており、その根っこを掘り起こしてゆでて食べていた。根っこは黄色でひげをいっぱいつけていた。少し苦みがあったが腹が減…

沖縄に想う

沖縄復帰(施政権返還ともいう)は、いまから46年前1972年5月である。当方はサラリーマンとして「期待される新人」のような位置にいたころのことである。実はその6~7年前のこと夜間大学に籍を置いて経済学の研究部(サークル)の幹事長の責にあっ…

子どもの考える「平和」の意味

8月は「平和」を考えるきっかけがいっぱいのようです。 新聞によると広島の平和記念式典で子供代表が「平和の誓い」を読み上げたという。後半で「平和」について次のように表現しています。引用紹介します。 平和とは、自然に笑顔になれること。 平和とは、…

朝鮮戦争のころ小学生だった

朝鮮半島を分断した朝鮮戦争の休戦から65年が経過したとしてマスコミはいろいろと話題にしている。振り返ると、朝鮮戦争が始まったのは1950年6月。そして休戦協定が結ばれたのは1953年7月27日である。 そのころ当方は、東北の山奥でほぼ自給自…

『ものの見方・考え方』学習仲間が再開

55年ほど前のこと『ものの見方・考え方』(文理書院刊)を集団学習していた際に講師を務めてくれた先輩を訪問する企画があり、先輩や後輩含めて11人で自宅を訪問しました。 彼は、大学卒業後学校の事務職員を務めあげました。その仕事が終わってから週に…