集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

「沖縄を返せ」から50年余

 固き土を破りて  

 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ

 我らと我らの祖先が血と汗をもて

 守り育てた沖縄よ

 我らは叫ぶ沖縄よ 我らのものだ沖縄よ

 沖縄を返せ  沖縄を返せ 

 「沖縄を返せ」を歌いながら都心を行進していたのは、いまから57~58年前のこと。ことしは沖縄復帰50周年になるそうだ。心を込めて「沖縄を返せ」を歌っていたころを想い出すと同時にいまの若い人たちの思いも考えさせられた。

 沖縄がアメリカの占領から「祖国復帰」を果たしたのは1972年5月15日。ことしが「沖縄復帰50周年」になる。当方は当時、先輩たちと沖縄の現実を学びながら沖縄返還闘争の大衆行動に参加するようになった。行進しながら「沖縄を返せ」を歌い、多くの人たちとの連帯感を覚え、自分自身の行動に確信を深めたことを想い出す。

 実際に沖縄がわが国に返還されたのは1972年。そのころ当方は、サラリーマンとして定職を得ていたが、歌を歌っていたころを想いおこしながら「沖縄返還」の実現を歓迎した。

 沖縄復帰50周年のいま、世界ではロシアによるウクライナ侵略戦争が起こっている。沖縄では新基地が強行されている。思うのは、戦争に欠かせない基地を抱えている人々の苦悩であり、日々平安に過ごせる平和の確保である。そのためには、戦争のない日常を願いながら基地のない地域を作るしかないと思う。

 そこで、いまの沖縄の現実を学校の先生方はどのように考え、教えるかについて苦悩していることを知り、その実態に驚くばかりだった。その事例2つだけ。

 一つは、高校の場合「沖縄」をテーマにした授業は年間で2時間のみ。その2時間で沖縄の基地が抱える問題をどれだけ深く考え教え、学ぶことができるだろうかということ。学校教育現場の大問題だと思う。

 もう一つは、「中立性」ということ。沖縄の現実や基地問題を考える時は、必ずや基地に関わる事故や事件に触れざるを得ない。そこで登場するのが教育委員会や校長による意見や指示である。つまり「中立性」とか「特定の立場に偏らない」指導教育だそうである。何とも「特定の立場」という曲者である。つまり「基地」について極論だが「賛成」か「反対」は「特定の立場」になってしまうのだろうか。つまり、あれやこれやとの指導があり「沖縄」や「基地問題」は高校の現場では扱わない方がよいということになってしまうらしい。

 同じようなことが、ロシアのウクライナ侵略との関連で、北方領土の歴史をどのようにとらえるかが問われることになるだろう。「特定の立場」を避けながら結局は国民の歴史観をも薄めてしまう教育のあり方は真剣に問い詰めなくてはならないと思うのです。