集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

子どものころのおいしい食べ物は? 

 10月7日の同級会で話題になったのが、子どものころの食べ物の話し。

 こどものころというのは、昭和27~30年(1955年前後)以前と言えるでしょうか。

 村の多くは炭焼きに従事しながら畑作で自給自足に近い生活をしていた。田圃はないため稲作は全くなかった。ということで、稗と大麦が主食である。今では雑穀がヘルシーとかで話題にもなるが、当時は食の貧困そのものであった。ほかに小麦、粟、イナキビ、タカキビ、大豆、小豆、ソバなどが畑作穀物であった。それにジャガイモ、大根、ニンジン、ゴボウ、キュウリ、トウモロコシ、ささげ(インゲン)など。さらに季節の山菜やキノコ、川魚などが食材に加わった。 

 いまに伝わる伝統食は「豆腐田楽」「軍配餅」だろうか。とくに「田楽」はこの地の田楽こそが一番だと「口をそろえる」ほど、思いで深い味である。ほかに懐かしく思うのは「豆すっとぎ」とか稗の粉で作った「すっとぎ」。または小麦粉で作った「背中あて」(四角い作業具から)も想い出のおやつである。

 そうしたなかに山菜の根である「ところ」や「くず」、「ぜんまい」または「カタクリがあるから驚きでもある。いま、葛粉やぜんまい粉、カタクリ粉を使った食品やお菓子といえば高級品である。それが山奥の人たちはごく自然にそれらを手に入れていたのである。だが、「ところ」(山菜の根っこでひげいっぱい)だけはいまに伝わっていない。その「ところ」を当時の人たちは食材として飢えをしのいだのである。 

 同級会での話題をヒントに、昔の地方食や方言についてもメモしようと思う。