集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

接待の落とし穴

 官邸の要人で前総務省の役人が民間企業の高額接待を受けていたことが話題でした。この話は突然本人の「辞職」という形で、一区切りがつきそうです。あくまで「区切り」ですから「官僚接待」問題が終息というわけにはいかないでしょう。今後ともマスコミの問題追及の真剣さに注目してゆきたいと思います。

 当方は「接待」でも、「接待される」側の人生を歩んできたことを想い出します。

 初めての「接待」は定かではありませんが、未青年のころ夜のキャバレーに同行したことを思いだします。当時当方は町の印刷屋で文選仕事を修業中でした。従って活字屋さんに毎日のように活字注文の電話をかけていました。そんなことがあって活字屋の営業マンは、工場長役の独身先輩と一緒に接待してくれました。途中で当方が未成年ということに気付いたのか1人で帰され、先輩と営業マンは再び夜の街に出かけたのです。

 その後サラリーマンになると「接待される」ことが普通のようになりました。民間企業による「営業活動」としての「接待」は、密接な企業関係を保つための「必要悪」だったのではないでしょうか。普段は「昼食をごちそうになる」ことが多く、場合によっては「夜の宴会」もあった。それでも「銀座の高級クラブ」の経験は長いサラリーマン人生の中でも1~2度しかない。ほんとうです。

 仕事がら「札幌の新工場を見に来てくれ」といったお誘いは喜んで参加した。そのような仕事は結構多かった。その流れで、ソウルやバンコクイスタンブール、ロンドンにも同行した記憶がある。あくまでも「仕事」であり、その経費を「どの会社が負担」したかが問題であろう。仕事上での「接待」で特段の「便宜」が働いたという記憶はない。

 民間企業間の接待は「営業活動」であり、昔の印刷屋のおやじさんは毎晩のようにお得意先を接待して呑み歩いていた。おそらくそこには「酒と女」が絡んでいたのだろうと想像する。いまの営業活動でもキャバレーや高級クラブ、タクシー券などが生きているかどうかは知らない。 

 民間による官僚の接待は必ずや「利害」を伴うでしょう。利害関係にある「接待」を断らない官僚の後輩へのアドバイスなどもってのほかである。