集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

接待と招待の微妙な違い

 我がサラリーマン人生では「接待される」ことが多かった。間違いではないのだが「接待」というよりは「招待」が正確な表現のような気がしてきた。

 手元の辞書では「接待」とは「食事などを出してふるまうこと」とある。また「招待」については「客を招いてもてなすこと」と説明する。「食事などでふるまう」ことと「招いてもてなすこと」の違いを考えても理解は深まらない。いま現在の「話題」では「利害関係」の間柄での「接待」であろう。とりわけ官僚と民間との間での許認可が関わるのであれば犯罪に等しい。許せない。 

 我がサラリーマン人生で「接待」されたのは、「招待」されたと言いなおすべきと思うのだが、どれほどの違いがあるかは分からない。つまり「新工場竣工式」への招待状に従って式典に大勢の方々とともに参加する。招待による式典参加とでもいえようか。相手は当方の参加を大歓迎してくれた。その夜「食事をともにする接待」がありました。その辺が微妙ですね。双方の取引に大きな変動はなかった。

 海外についても「現地支店開所式」への招待とか「見本市出展開幕式」への招待などであった。