集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

「応分」の「割り勘」でただもあり?

 新聞を読みながら「割り勘」払いとか「応分の負担をした」との説明が目立つ。高級官僚が利害関係のある企業の接待に応じて会食した際の本人負担の有無が問題になったときの説明である。もともと「利害関係者」との個別会食は禁止されていると思ったがそうでもないらしいことが分かった。

 サラリーマンのころの「割り勘」といえば、会食費総額を参加者が均等に支払うことと決まっていた。誰でもがそのように考えていた。違うこともあった。男女の平社員がほとんどの中にたまたま部長が同席した場合である。ある意味で当然とも思えるが部長の負担額だけは増えて当然と思えた。またアルコールのすすまない女子社員の負担額を減らすのも当然であった。いわゆる「割り勘」ではあるが「応分の負担」が通用した例であろう。

 サラリーマンの「割り勘」にしても「応分の負担」にしても霞ヶ関周辺の世間では様子が違ってくるようだ。1人当たり3万円ほどのところを「5000円負担」で「応分負担」と受け止める偉い人の物差しは理解できない。ましてや「負担ゼロ」も何回かあったというから「住んでいる世界」の違いを感ずる。また「応分に負担」したのだから「良いではないか」(何が問題なんだ)といった発想も見え隠れするから余計に腹が立つ。

 「割り勘」にしても「応分の負担」にしても、これほどに「大きな違い」を感ずるのは「生活環境・水準の違い」だろうか。しんぶんを読むとき「辞書」が手離せないこの頃である。