集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

映画”寅さん”と想い出

 映画男はつらいよはよく観た方だと思う。この映画に浅丘ルリ子(リリー役)は何度か出演しているらしい。あのリリーが登場した映画を観終わったときに「なぜか、これで寅さんの映画も終わりだろうか。寅さんも年だからなあ~」と感じたのを想い出す。当時マスコミで「終わりか?」といった取り上げられ方があったためだろうと思うのだが定かではない。

 この映画は第48作目だったらしい。その次の作品は鑑賞の記憶がないので、当方にとっては最後の男はつらいよになった。それからしばらくして確かに車寅二郎は亡くなった。 

 もう一つは、さくら(倍賞千恵子)の夫・博(前田吟)がタコ社長(太宰久雄)経営する印刷屋に務めていた。それぞれの役柄よりも印刷機が動いている工場内の匂いを想い出す。

 当方は16歳のころから東京・北千住の印刷工場に住み込みで働いていたこともあり懐かしい風景であった。働いていた印刷工場は、帳簿類を専門とする「端物屋」であり、活字といえば5号と8ポイントが主流であった。当時私は「文選」(活字拾い)と「植字」(版組み)そして下働きだった。活字を活字屋に電話注文することも仕事のひとつであった。電話では漢字1文字について音訓や偏や旁りなど合わせて2~3回言いなおしてお互いに確認するやり方だった。そのためか随分と漢字に親しむようになったと思う。

 そのうち伝票類に「裏カーボン」が採用されるようになり、零細企業の社長(当時は旦那と呼んでいた)は新しい印刷機を導入した。これはカーボンインキを熱で温めながら印刷するために真夏でも大きなガス釜をたかなければならなかった。カーボンの匂いと工場内の暑さに耐えきれず逃げ回ったものである。

 そうした工場内で働きながら、夜間定時制高校に皆より4年遅れの18歳で入学することができた。そのまま夜間大学に進み27歳のときようやくサラリーマンになった。

 いま男はつらいよの第50作目が封切られたそうである。この正月にぜひ鑑賞したいと思う。これで「寅さん。さようなら」になるのだろう。