集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

コロナ感染で「非正規」の軽さを考えよう

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う解雇や契約打ち切り、派遣止めなど働く者の苦難が限りなく続いているようである。そんななか、自給自足時代の子どものころを想い出した。

 当方は終戦前の苦難のことは知らない。だが、北海道ではニシンの水揚げの時期はあちらこちらから助っ人の漁師を集めらそうである。それに応じたのが山奥からの「出稼ぎ」である。何しろ北海道では「ニシン御殿」が並ぶほどの賑わいが続いたそうである。出稼ぎ者もその恩恵を受けたのだろうと思う。男手が出稼ぎに行くと嫁たちは必至に家業を守り続けたものと思われる。

 戦後になると「出稼ぎ」は都会の建設現場などで働く「季節工」が主となった。それに合わせて少年少女たちは中学校を卒業すると「集団就職」として都会の工場や商店に住み込み従業員として就職した。集団就職の少年少女たちの生活は決して恵まれたものではなくさみしさも手伝って長く続くことはなかったと思う。また、失業者の増大に伴い「失対事業」として「ニコヨン」で働く労働者も多かった。いずれも苦難の連続であった。

 経済成長に伴い、働きたいときに働けるとして若い主婦の間で「パートタイマー」がもてはやされた。これがいまに続く「働き方改革」かもしれない。働きたいときに働けるけど雇用主にとっては「いつでも置き換えられるパーツ」でしかなかったと思う。労働者としての権利なども保証されていなかったと思う。学生を中心にした「アルバイト」も似たようなものである。いま「アルバイト」や「パート」なくして日常の生活は成り立たなくなっているといっても良い。そんな世の中「正常」だろうか。

 その後は「派遣社員」(派遣労働)が広がり、定年延長が話題になると「延長社員」(延長労働)、高齢者を中心にした「契約労働」(社員)警備員や清掃職場が増える。いずれも時給は「地域最賃」に張り付いた形でそれを超えることは少ないようである。

 そしてコロナ禍の下で話題なのは「出前え」とも言える「個人事業主」の増殖ともいえる。個人事業といえば飲食店などを想い出すが、昔ではお蕎麦屋さんの店員が「出前え」をしていたが、この「出前え」に似た仕事を「請け負う」仕事である。小口配達を願う商店の委託を受けた「受託事業主」が登録者の希望に応じて再委託する仕組みのようである。

 コロナ禍で、まず派遣社員とか契約社員、パート労働などの「非正規労働者」が職を失い・所得を失っている。それがいわゆる「格差」拡大にもつながっている。コロナ禍の収束が長期化すればするほど「格差拡大」は広がる形である。そこが勘所だと思う。