集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

人々は「ホームステイ」で自問自答を重ねた

 梅雨時とはいえ当地も雨が多いような気がする。そうしたときに友人から「読んでみなさい」と古い新聞のコピーを渡された。コピーは1ヵ月ほど前の毎日新聞「ポストコロナの世界」でウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカのインタビュー記事が掲載されていた。

 世界一貧しい大統領といわれた氏の「コロナ感染」に関する思いが込められた内容である。氏は政権交代により現在は上院議員として国の「コロナ」対策の先頭に立っているらしい。氏の思考には傾聴することが多いと感じた老人のきょうであります。

 パート仕事の老人ですから「ステイホーム」といわれても、この間「こもって」いたわけではありません。これまでとほとんど変わりない日程でパートをこなしています。その点恵まれて居るかもしれません。ただ考えることは「どうして?」「なぜ?」とか「これからどうなるんだろう」といったこと。

 そんななかで元大統領の言葉にうなずきました。たくさんありますが一つだけご紹介します。

 ステイホームで多くの人たちが「人生は富を築くだけのものではない」と考えるようになったというわけ。つまり「家族や友人と愛情を育む時間はあるのか?」「人生が強制や義務的なことだけに費やされていないか?」と自問自答することになったというわけだ。こうした経験の積み重ねが「コロナ禍」後の”こやし”になるだろう。そう期待するというわけ。

 強制的な労働時間により富を築くことに慣らされている現実から家族や友人との愛情を重んじる思考方法は異常気象や山林火災、バッタの大量発生などにもつながることだろうと重く受け止めました。