集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

モラルの危機に関して

 先日の新聞で、アメリカの資産格差が深刻であることが報じられた。その記事の中に「モラル危機だ」との表現があり、”モラル”という言葉に関して若いころを思い出した。想い出は記事の”資産格差”とは全く関係ないことを断っておきます。

 若いころ当方は従業員組合の役員をしていたことがある。そのころ勤務している会社は最後の追い風から少し外れていたように思う。その前までは比較的順風満帆だったために遅刻など問題にされないとか勤務中に麻雀に出かける者が出ることもあった。そうしたルール無視の気風を直したい気持ちから職場集会で従業員の「モラル」の欠如について発言した。

 すると、遅刻常習者ともいえる組合員仲間から「モラル」が問題なのではなく「モラール」を問題にすべきじゃないか。言葉を「モラール」に訂正しなさいと突っ込まれてしまった。

 正直当方は「モラル」(道徳とか規律といった意味)と「モラール」(士気とか向上心)の意味の違いについて理解していなかった。英語に詳しい彼たちはしつこく食い下がってくるので、その「モラール」を高めましょうというような説明をした。 

 その後の組合集会で、当たり前のことだが「遅刻」などなくするように従業員自ら勤務態度を正すべきだと発言した。反論は「いまの出勤時間は私にとっては常識だ」というものだった。当方は「常識というものは、個人が決めるものではなく、社会全般に認められるものである」といった説明をした。彼は「遅刻は何が悪い。俺の常識だ」と開き直っていた。彼は次第に職場から浮いていかざるを得なかった。

 いわば従業員組合(労働組合)による職場改善の取り組みであった。そんな組合員間の論争を重ねながら経営者の体質も問いながら組合役員を長く務めてきた。 

 一つの言葉・ことばに関しての想い出である。