集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

ききょうを眺めながら長兄を想い出す

 管理をお手伝いしている公園でききょうの花を見つけました。 

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 濃いブルー色が鮮やかで花の形もわかりやすいのが好感が持てます。それと故郷の山奥では、この花を「ぼんばな」と呼んでいました。こどものころの楽しみは家族が揃って墓参りするのがウキウキ気分でした。時には遠くから親戚の人が来てくれ懐かしさ・楽しさも増しました。ちょうど「旧盆」のそんな時期に咲くところから「盆花」と呼んだだろうと想像します。墓へ行く途中の雑草の中から「ききょう」の花を摘み取って先祖に手向けるのが子供の習わしでもあった。

 もう60年以上も前のこと、「みのり」(多分45円)と「ききょう」(多分60円)という「刻みたばこ」が。ありました。山の中で「炭焼き」生活していたころの想い出です。当方は、山の中から片道2時間ほどかけて村の中ほどにある中学校に通っていました。20歳ほど年長の長兄は安い「みのり」を愛用していましたが、たまに「ききょう」を買ってくるように言いつけることがあった。

 その兄は、私が20歳のとき40歳前で亡くなった。きっとたばこの吸いすぎと炭塵が内臓を痛めつけてしまったのだろうと想像する。すぐ下の姉はいまも生存しているがその亭主によると「義理の兄は貧乏が憎くて、たばこを黙々と吸い続けることで命を縮めた。哲学的な人だったからなぁ」と想い出話を聞かせてくれた。その90歳を過ぎた老夫婦は孫夫婦に世話になりながら郷里の地で生存している。