集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

パート仕事、定年退職しました

 もう20年来パート仕事に従事してきましたが、ついに80歳を迎えて「停年」となりました。現在のパート仕事の現場は、きょう30日は日曜日のため定休日でしたが、勤務予定は「午前・午後」の8時間仕事でした。現場責任者の意向で本日が最後の勤務となった次第です。

 想いおこせば、サラリーマン現役時代の定年は60歳でした。しかしそのころは業界そのものの不振低迷から逃れることができず、58歳で退職しました。その後は大手企業の子会社で契約社員として務めました。この会社は契約社員定年を「70歳」としていましたが、なぜか「68歳」の契約更改時に「契約更改せず」の通告を受けてしまいました。そのためにハローワークでは”就業支度金”をもらうことができました。

 その時に出会ったのが本日まで仕事を続けてきたパート仕事です。ですからちょうど11年間余り勤務した勘定になります。高齢者20人弱のパート職場でしたが、人生模様が様々でそれぞれ深入りしなければお互いに楽しく過ごせるところです。なかには「仕事不熱心」とみなされて契約更新できない人や「物忘れが激しく」再契約できなかった人もいました。ほかにも人間関係がままならずに途中でやめる人もいました。そうしたなかで11年間続いたのは我ながら「あっぱれ」と言えるでしょう。もっとももっと勤続年数が長い人もいますから忍耐の人たちでしょう。

 さて「毎日が日曜日」となったら「明日」からどんな日常になるのでしょうか。まずは相性の良い「補聴器」を求めることになりますが、収入減をどのように補うかも大問題です。80歳の天気=転機をどのように生かすか早めに対応したいものである。