集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

老人のマジな馬鹿話し

 パート職場ではコロナ感染対策として「密」を避けるため「時差出勤」が取り入れられた。ところが「早い方がいいだろう」といった人が多くほとんどが以前よりも30~40分早く来て早く引き上げるようになった。つまり「早出密」状態になってしまった。そんななかで、相変わらずの馬鹿話が花を咲かせることがある。

 なかなか元気だけど、いつまで務めるんだ。

 俺のことか?別に定年なんかないんだろう。首にならない間働くよ。

 よく言うだろう。棺桶に金を入れても焼かれてしまったらどうしようもないだろう。

 別に「金を貯める趣味」はないんだ。ただね、仕事をやめたら小林一茶になるんだ。

 なに。あの「古池や、蛙飛び込む~」とか言う偉い人のことだろう。いまさら「俳句」をひねってどうしようというんだ。

 分かってねえな。一茶は何をする人だったの?

 教科書では「俳人」って紹介してるぞ。

 そうだよ。「ハイジン」だよ。確実に俺は「ハイジン」になるんだ。もう決まってるんだ。

 マスク顔がお面にも見えるような老人のばかばかしい話が続く。

 パート職場は、70代男性6人と65歳以上の女性12人が働いている。かつては定年70歳といわれたが、今では定年とか年齢はあまり話題にならない。会社では外国人も採用されているほか80代でも働いている。本人が「やめる」といわなければなかなか契約打ち切りにはならないようだ。といっても仕事ができる健康状態でなければならないのは当然のこと。

 そう。多くの人は、老後の人生を元気で過ごせるようにパート仕事をしている。パート仕事を止めたら、おそらく日々の生活スタイルが崩れて「俳人」ではなく「ハイジン」になる可能性大であろう。そんな馬鹿馬鹿話である。