集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

学術会議任命しなかった具体的理由を求める

 大きな話題は日本学術会議が推薦した105人の改選会員6人を総理が任命しなかった問題でしょう。当然のこととして「任命しなかった理由」を総理官邸は公表する責任と義務があると思う。ところが、不都合があるためだろうけどまともな説明がなく、そのうえ時間が経過するとその説明が随分と変わってきている。

 一つ。総理は学術会議が提出した105人の名簿を見ていないと説明した。見ていないけれども6人については任命しなかった。ということは、名簿が作成された段階で総理の意向を汲んだ誰かが「この6人は任命できない」ということを申し合わせた上で、その内容を総理に伝え、総理は「6人除外を承認した」と推測される。

 総理は「名簿を見ていないと」ウソを言ったのか、「名簿」を見ないまま「6人除外」を承認したのか。そうした「任命」の仕方がまかり通ってよいのだろうか。まさに「責任」が問われている。 

 二つ。任命しなかった理由について「総合的、俯瞰的に見て」という。これは「任命しなかった」理由なのか、それとも学術会議のあり方につての理由なのか時間の経過とともに変転しているように見られる。初めの頃は任命しなかった理由として「総合的、俯瞰的」が報道されたが、その説明は「理由になっていない」との批判が相次いだ。そのうちに学術会議会員の構成が男女別、年齢別、分野別、大学別などアンバランスであるといった説明が出てきた。この説明は、6人の任命されなかった理由ではない。構成のアンバランスがあるとすれば双方の話し合いなり改善策はいろいろ考えられるではないか。素人でもわかる話である。

 三つ。求められているのは「任命しなかった理由」である。「総合的、俯瞰的」というだけでは具体的理由があいまいにされたままであり、誰が見ても理解できるはずがない。丁寧な説明を建前とする偉い方々は、庶民の誰でもが理解できる「除外理由」を説明すべきである。菅新総理の「命」になりかねない事態だと思える。