集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

コロナ禍と言葉遣いの話題

 新型コロナの驚異的な感染拡大は、現実の社会を変えているし、収束後の社会も大きく変えてしまうだろう。それにしても「コロナ」に関連しての「ことば」遣いや表現の仕方が問われている例も目立つ。

 新しいカタカナ語もその一つかもしれない。パンデミック、ロックダウン、ステイホーム、ソーシャルディスタンス、アラート、ウイズコロナなど。なんとなくわかったような気がするのだが「これで本当に良いのだろうか」と気になることもある老人の気分である。  

 朝日新聞24付けに掲載された「多事奏論」(高橋編集委員)は、言葉遣いや表現の仕方について歯切れよい展開を見せてくれました。感謝ですね。

 あの副総理の「民度」発言を取り上げているが、その文章をよく見ると「民度」の前に「うちの国とは」の表現がある。この「うち」という表現には、「うちの親分」とか「うちのシマ」といった任侠の世界と同じ感性が見えるという。なるほど。確かに編集委員の言い分に同調せざるを得ません。

 もちろん「民度」発言については様々な批判見解が公になっており今更の感がする。先日このブルグで、副総理と感染者ゼロの岩手県知事との架空問答を書いたが、おそらく知事が「民度の違い」で説明したとすれば副総理は「絶句したまま次の言葉は出ないだろう」。副総理を長い間「いまの座」に置いている国民の「民度」が問われているのだろう。 

 憲法改正を急いでいる自民党は、ダーウインの「進化論」を借用して漫画で改憲を訴えたらしい。何とも恥かしながら「進化論」の主張とは関係ない”自民党改憲進化”を展開したらしい。直ちに専門家や学会からも反論が寄せられている。当然のことだろう。

 これなど、おそらくあの電通に委託して練り上げたものではないだろうか。電通はさらに下請けに制作依頼したため監修が至らなかったかもしれませんね。そんなやり方を続けているようじゃ「総理も副総理も」頭を下げることが早まりそうですね。

 そう願いたいものです。