集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

沖縄返還から50周年か~

 ある新聞で今年は「沖縄返還」から50年になる年であることを知りました。

 そうか50年以上も前だったのか「沖縄を返せ!!」と唱和しながら、デモを繰り返していた青春を想い出した。

 夜間大学に入学したのが1964年だったと思う。サークル仲間に沖縄出身の後輩がいたこともあり、沖縄の現実や本土復帰の願いを聞きながら「沖縄返還運動」にのめりこんでいった。もちろん米国の沖縄占領に抵抗する闘いでもあった。残念ながら大学在籍の4年間のうちに「沖縄返還」は実現できなかった。

 その後1968年秋に生計を立てられるであろう企業に就職することができた。年遅れのサラリーマンではあったが仕事に懸命になりながらも「沖縄返還運動」については強い関心を持ち続けた。そしてようやく1972年5月15日「沖縄の本土復帰」を実現したのであった。すでに、単なる学生ではなく社会人としての責務も感じる年齢となっていたこともあり大げさな表現は控えながら「沖縄返還」を喜んだのを想い出す。

 あれから50年余になる。いま沖縄は米軍基地を抱えながらコロナ感染者の増大に苦慮している。米軍基地が集中する沖縄の人たちの不安は和らぐことはないようである。本当の「本土並み復帰」の実現を望んでやみません。米軍基地のない沖縄を返せ!!と叫び続けようと思う。