集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

カタカナ語の理解に悩むこの頃

 オリンピックは本当に開催できるんだろうか。コロナのこともあるから延期とか中止した方がよいのではないだろうか。そんなもやもやした気持ちの人が大勢だろうと思うのだがいかがでしょうか。しかもモリさんの説明が問題となり心配事がわが国だけでなく世界に広がった。果たして開催はどうなるのでしょうか。

 きょうは毎日新聞を読みながら昼食を済ませた。最近とくに「ことば」の意味合いについて考え込むことが多くなった。普段はなんとなく読み進んでいたのが「さて、何だったんだろうか」といった具合である。毎日新聞1面は「五輪組織委会長に橋本氏」をトップで伝えている。

 読みながら「レガシー」ってどういう意味なんだろうか~といったつまらない悩みである。ほかにもあった「ガバナンス」(統治とか管理)とか「アスリート」(運動選手)、そして「ジェンダー」(?)といった具合。レガシーとは「世代から世代へ受け継ぐもの」(遺産)ということらしい。ジェンダー平等を男女平等と理解したり置き換えることはできないことは理解しているが、どのように説明したらしっくり収まるかよく分からない。

 このようなカタカナ語(言葉)は、もう少し日本語(言葉)に置き換えて文章表現できないものだろうか。多分「意味合いが違ってくるのでカタカナ表記がしっくりする」との解説が返ってくるでしょう。それでも「アスリート」とか「ガバナンス」など「運動選手」とか「組織管理」または「組織の統率」とかではいけないのでしょうか。

 もっとも、「おもてなし」とか「忖度」など純然たる日本語でも少しだけ考え込むことがあるから、言葉の意味ではなく文章表現から理解を深めることが大事なのかもしれない。偉い人たちの「丁寧な説明」でも「真意」が相手に伝わらないこともあるからどうしたものでしょうか。