集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

我流「学問」の解釈

 学問についての話題が多いこの頃です。そもそも「学問」ってどういうことなんだろう。普段からなんとなく使っている言葉だが改めて問い直してみると奥深いものがあるような気がします。問題となっている「学術会議」とも関連させながら「学問」について自己流で考えました。

 まず「学」と「問」の組み合わせから考えました。先人の「問いかけ」に答えるために一生懸命に教わり、考える繰り返しが「学び」であろう。そこから「問いかけに正しい答え」を示すために「学ぶ」ことを「学問」と呼ぶようになったのではないだろうか。学ぶ方法は様々であり、先人から教わる、読書などを通じて知識や知恵を広める、自ら体験しながら経験を積むなど多様でしょう。また答えを引き出す手順や道筋も、直線であったり迂回・曲線であったり、出発位置も途中地点も様々であろう。

 時代が進むにつれて「学問」の分野が広がり整理され、それぞれが専門分野として名称を持つようになったのではないでしょうか。思い浮かぶのは、哲学、数学、文学、医学、音楽、科学、工学などなどである。現在では専門分野は数百とも言われる。

 そうした「学問」の世界に「日本学術会議」があり、憲法23条では「学問の自由」を明文化している。難しい問題だが我流ながらこの問題に挑戦したいものである