集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

歴史や国語で学ぶ「学問の自由」

 さて「学問」について我流の解釈はよろしくないので、手元の辞書を見ると「学び習うこと」とか「学んで得た知識」と解説しています。なるほど「学ぶこと」と「知識」とは意味合いが多少異なるわけだ。学問の分野・分類が「哲学」であったり「文学」または「数学」といわれるのでしょう。

 その「学問・研究」は「真理を求める」ことにある。その研究方法や研究成果の発表、批判への反論など自由に組み立てられることが保障されている~それが「学問の自由」だと考えられる。およその研究者は大学に属すこともあり、歴史的に「大学の自治」も「学問の自由」の範囲に組み込まれているといわれる。それらを憲法23条は「学問の自由は、これを保障する」と明示しているわけですね。

 なんといっても、自由な研究環境と研究方法、成果発表などが保障されるということは「権力」や「宗教」または「産業・団体」から圧力がかからないことが前提と言えるようです。

 いまマスコミで大問題の「日本学術会議」の会員「任命拒否」は、権力による「任命権」の乱用であり憲法23条「学問の自由」を踏みにじるものと解釈されます。そのようなことが「問題視」されない状態が度重なるとすれば「独裁」へとつき進むことになるでしょう。だからこそ「学問の自由」は歴史的経過をよくよく学ぶことが大事であることを教えてくれています。