集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

医療体制は「ひっぱく」している

 新聞やテレビで「医療の供給体制が逼迫している」といった表現がよく使われます。普段使うような言葉ですがどのような状況なんでしょうか。

 改めて「逼迫」(ひっぱく)を調べると「追い詰められて、ゆとりがない状態になること」とあります。コロナの感染拡大が第3波に突入し、しかも高齢者や重症者の増加などもあって医療機関では一般の病床をコロナ感染者のために転用しているらしい。これ以上に全国でコロナ感染者が増えると「医療供給体制が崩れる」恐れがある。そんな事態がいまなんでしょう。医療機関の「危機」が「切迫」しているのでなく「逼迫」しているという意味合いに注目したいものです。

 家計が「逼迫」しているといった使い方もあります。まさに「家計崩壊」ですね。コロナ感染と医療体制についてみると「医療体制の崩壊」も予測されます。いまがまさに「崩壊が切迫」しているのではなく「逼迫状態」にあると表現せざるを得ないということでしょう。これはコロナと医療体制の「緊迫」状態ともいえるのではないでしょうか(情勢が緊迫しているに似ています)。

 そこで、医療供給体制への「力強い支援メッセージ」が必要であり、お互いに「感染を広げない」努力が必要かと思うわけです。とりわけ指導者の税金による会食三昧など厳しく批判されるべきでしょう。ガースーなどもってのほか。