集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

何事も「真摯」が大事なのだが

 コロナウイルスの感染拡大を防ぐために誰が何をするか。いま個人個人の行動や対応が問われているような気がします。指導者が「会食は5人以内で」と要請しながら、本人は多数での会食を繰り返すようでは、指導者としての行動が問われるでしょう。そんな事態が進行中というのは嘆かわしいことです。指導者は「真摯に反省している」と説明したようでスガ、一連の行動や発言を見たり聞いたりしていると「とても信用ならない」感を強くします。

 ところで「真摯」(しんし)ってどう意味なのか国語辞典で見ると「まじめでひたむきなさま」とある。今回の場合「批判を受けたことを、正直に受け止めて深く反省し、行動を改める」といった趣旨だろうと理解したい。だが、それなら自分の言葉でそのように表現してもよさそうなものだが、一般的に「この場はこのような表現がよかろう」の行動スタイルが身についている指導者の言葉としか受け止められない。

 それは、同様な行動様式や表現方法で逃げている姿を見せつけられているからです。早く「アベスガ体制」に終止符を打てるよう願ってやみません。

 医療費の窓口負担倍化を食い止めるためにも。いまが頑張り時です。