集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

出生数90万人割れで想い出すこと

 25日、マスコミは一斉に2019年の出生人口が90万人を割ってしまったと少子化による人口減少が急速であることを伝えた。これは厚生労働省が毎年まとめている人口動態統計の発表に基づいたものである。

 年間出生数は、戦後間もなく268万人(1947年)を記録したことがある。この時期に生まれた人たちを第1次ベビーブーム世代とか団塊世代と呼ぶようになった。この世代が結婚して生まれた子どもたちも年間200万人を数えたので第2次ベビーブーム(1971年から)と呼んだ、その世代を団塊ジュニアと特徴づけた。そのような特徴づけによる市場分析や販売促進活動が際立った時代があった。

 現役時代の一時期、年間出生人口に無関心ではいられない頃があった。団塊ジュニアたちが20歳を超え結婚する時期に差し掛かったころだろうか。振り返ると20世紀最後のころ、もう20年ほど前のことだろう。そのころの出生人口は100万人以上を数えたと思うが、クリスマスやお正月になるとプレゼントが親だけでなく両親の親、つまり両家の祖父母からもらえるということで”シックスポケット”(六つのポケット)と特徴づけた。子どもの数が少なくなりそれだけに周囲の愛情が1人の子供に注がれるというわけ。そこから[六つのポケット」からどのように支出を促すかがテーマになっていた。 

 そのころ後輩が結婚式を挙げることになりお祝いの言葉を頼まれた。新郎はなかなかハンサムだったので、話題の映画「タイタニック」主演のデカプリオのような人気者であると讃え、この少子化の時だからこそ早くベビーを見せてくださいといった趣旨の話をしたように思う。この映画が作られたのは確か1997年だと思うので、98年か99年のころの想い出である。

 下写真は25日付讀賣新聞      f:id:yasanjin2016:20191225172319j:plain