後期高齢者がパート収入に頼るわけ
老後生活と2000万円問題は、様々な問題を含みながら”燎原の火”のように広がっているようだ。後期高齢者の一人として、どうも釈然としないこともある。というのは、一般論として年金制度を議論するものが多く、現役後期高齢者の実態は語られていないような気がしてならない。当方の理解では、「2000万円不足」は60代世代の話だろうと思う。70代の年金生活者にそんなこと言ったて対応のしようがないではないか。
後期高齢者層で、悠々自適の年金生活者がいるかと思うと無年金者もいる。年金のみで生活できないからパートに頼っている人も知っている。パート就労は、雇用主がいるから成り立つもので年齢のみで区切ることはできない。しかし年齢とともに体力と気力は衰え、雇用先は減少する。その先はパート収入が途絶えることになる。
低年金で、日々の生活が成り立たない人たち(またはそれに準じる人たち)の実態をもう少しリアルに伝えることが大事なような気がする。
誰もが安心して最低限の生活が可能な世の中をつくってほしい。そのために根本的な「年金制度」を議論することを願いたい。低年金者で老後に入った人々に「貯蓄」の話など気分を悪くするだけである。
「馬鹿げたこと」といわずに取り組んでほしい年金問題
めったに怒らない総理・安倍が「馬鹿げたこというな」とことばをあらげたらしい。それは大きな話題となっている「老後資金2000万円」に関連してのこと。
報道によると、老後は年金で安心して生活できるだろうと考えていた人たち。ところが「マクロ経済スライド」とかで年々年金は減っているのが現実。定年前の人だって不安になってくる。そこである議員が「マクロ経済スライド」を廃止して「減らない年金」を保障すべきだと主張した。安倍は「馬鹿げたことができるか」と反論しながら「7兆円」の赤字をどうやって埋めるのかと帳簿裏の事情を明かしたらしい。
つまり、年金を減らしつづける「マクロ経済スライド」を続けるのは、想定される7兆円もの赤字を抑え込むための方策であることを明らかかにしたものらしい。年金受給者を犠牲にすることで帳尻を合わせようとしている。年金を減らさない制度を構築すべきとの提案を「馬鹿げたこと」と一蹴したわけだ。
どこの家計でも、収支バランスを考えるときは、支出を抑える節約と収入を増やす手立てを考える。話題の年金制度では、保険料収入には目をふさぎ「年金給付」を抑えることだけに腐心している姿が明らかになった。経世済民が為政者の任務であるにもかかわらず下々の民をないがしろにする安倍の姿勢は許せない。
保険料収入については、前回も触れたが社会保険加入者を増やすことだろう。そのためにも正規雇用を増やすことと最賃引上げが効果的だろう。最近では保険料率の上限引き上げも話題のようですから、高齢者に生活苦を押し付ける年金削減だけでなく収入を増やす手立ても真剣に議論すべきではないかと思う。
文書ねつ造を狙う「公文書」受け取り拒否の重さを問う
マスコミが連日報道している「老後資金2000万円」問題の”本当の問題”がよく分からない。どうも週刊誌の芸能記事みたいに「そのうち忘れられる」ことになりかねない感じもする。
当方が「よく分からない」というのは、老後は年金だけでは暮らしてゆけない。多くの庶民は1000万円からの蓄えが必要だと気がついている。そんな話題や情報が広く伝えられていたからである。だから新聞の投書欄に「私たち、誤解なんかしていません」といった記事が掲載されるのである。
問題の本質は、政府の重鎮であるはずの麻生にある。専門委員会に現状と将来のあり方を報告するよう求めた。専門委員会は問題点を正直に書いて(老後は年金だけで安心できる生活は無理でしょう)報告書にまとめた。その内容が話題になったもんだから麻生は報告書の受け取りを拒否した。つまり「公文書」を「なかったもの」(それはできないのだが)にしようとしたわけである。
報告書の「内容」に問題があったわけではない(すでに多くの人々が知っていることであるから)。それを「公文書」が追認、公表することを麻生は「良しとしたくなかった」わけでしょう。まさに「文書ねつ造を画策」していると勘ぐられてもおかしくない事態である。それが「2000万円」問題の本質ではないかと思うのである。
もちろん、老後も安心して生活できる年金制度への改革が大前提であることは間違いない。
2000万円問題を流行語に終わらせるな
世相を映す流行語を想い出しながらの”愚痴”です。
最近は何といっても「2000万円」である。高齢者のパート職場でも”笑い話”として話題になる。おそらく「そんなことできるわけないだろう。何言ってんだろう」といった意味を含んでの話題である。何しろ「いまの生活費の足しに」と考えてパート仕事をしているのが現実だからである。
中高年の「引きこもり」も大きな話題である。かつて「パラサイト」という言葉がよく使われることがあった。どこか共通するような気もするがどうだろうか。関連してかつての就職「超氷河期」も話題となっている。それらに関連してさらに「社会保障費」の負担についても話題が広がっているようだ。
じつは、我が家の子どもは40代に入った。どうも「氷河期」世代らしい。本人の不安も大変のようであるが当方の「心配や不安」も並大抵ではないと思っている。
22日のテレビニュースで、政府が「向こう3年間で中年の正社員雇用を30万人増やす」を骨太の方針に掲げたと報じていた。それにコメンテイターは「実現可能な数値であり、1桁多くしてもおかしくない」といった意見を述べていたように思う。正社員となれば「社会保険料」負担がかかってくる。しかしそれは後々に「財政負担」を軽くし本人の「生活負担」の支えになることは間違いないだろう。もちろん年金制度の改革充実が必要であることは間違いない。
同時に、後期高齢者の就労と最低賃金との関係で言えば、現状は「いまの年金で生活できないからパートで働いている」わけだから、最低賃金の引き上げで緩衝地帯を作りながら中年の正規労働を増やしていかないと「サンケイ職場」は後期高齢者だけになってしまう。
これは「ハブランサス」でした
近くの公園で、ピンクの6弁花がすっくと咲き始めました。この4~5年見かけているのですが名前がわかりませんでした。その特徴などわからないままでしたが、ようやくヒガンバナ科の「ハブランサス」(またはレインリリー)であるだろうことがわかりました。
これは、「玉すだれ」(正式にはゼフィランサス)と同じ種類らしいこともわかりました。「玉すだれ」は小ぶりの白い花を咲かせてくれますが「ハブランサス」は草丈も15~20センチほどで花も5センチほどの花弁6枚でやや大きめです。ピンク色の花がやや横向きに咲いている姿は上品にも見えます。花は1日しか咲かず、夕方にはしぼんでしまうらしい。花の時期は6月から9月ごろまで。「玉すだれ」は少し遅れて咲きます。
球根は、ラッキョウにも似ていますがヒガンバナ科の仲間で草全体に毒性があるそうですから要注意です。球根はほとんど放置していても繁殖していきますのでピンクの花が一斉に咲くと見ごたえが増します。
ほんと楽しみです。
「雑草研究部」(雑研)応援します
朝日新聞5月12日付の「教育面」に珍しい記事が掲載された。「いま子どもたちは」のシリーズ企画のようである。この日は「永田町の一角我ら雑研」の見出しである。なかなかユニークな企画である。あの都立日比谷高校に「雑草研究部」という研究部があり、部員たちの活動内容を紹介する連載記事である。最初5~6回続くものと想っていたが3回で終わってしまった。これは残念でした。
日比谷高校の学生にも「雑草」に興味を持つ高校生がいることを知って感動。その日比谷の地域でカタバミやスギナ、ムラサキハナナ、ススキ、カラスノエンドウなどなどを観察、特徴を研究している活動に感服しました。
2回目の茎の強度の研究、3回目の食べられる雑草への挑戦などユニークな発想に高校生らしさを感じました。ヨモギは「ヨモギ餅」などで知られるように食べられるが、アザミ(種類による)を食べることはあまり知られていないような気もする。まだまだ挑戦することはいっぱいありそうである。
もう一つ、雑草の渡来種のこと。当方が関心を持つのは、「ナガミヒナゲシ」と「ブタクサ」の繁殖である。しばらく前は「セイダカアワダチソウ」がいろいろ問題になったが、渡来種の増殖は無関心ではいられない。日比谷の地域でこの種の増殖はないのだろうか知りたいものである。頑張れ日比谷高校の「雑研」。