ヒルザキツキミソウが見ごろです
公園内に手作り花壇を作っている関係から毎日のように立ち寄ります。様々な草花が咲き誇っていますので、花の名前を想い出すのは難しいほどです。
そんななかで「ヒルザキツキミソウ」(昼咲月見草)が群生し公園の一角が淡いピンクに染まっている感じは心をなごませてくれます。名前の通り「月見草」風だが昼も開花するのでこの名前になったようです。アカバナ科の多年草です。見ごろは5~7月。
この「昼咲月見草」というのは、北アメリカが原産で鑑賞用に移入しているうちにわが国では野生化したようです。こぼれ種や地下茎で増えるので繁殖力が旺盛だそうです。ですから「野草」扱いのようですがお花屋さんで苗を販売していることもあるようです。
朝日に照らされた風景が見ごろのようです。ご覧ください。
ナガミヒナゲシの増殖を食い止めたい
春とともにあちらこちらで雑草も花を競い合っています。その中に気になる「ナガミヒナゲシ」があります。もう6~7年前だったと思いますが、道端で赤い花が目立つので「何なんだろう」と気にしていました。それが比較的新しい外来種の「ナガミヒナゲシ」と分かりました。調べてみると繁殖力が旺盛で田畑に広がると大変なことになると知りました。それ以来、この花を見ると可能な限り引き抜いて捨てるようにしています。それでも「増殖力」に驚いています。
この雑草は、繁殖力が1000倍ともいわれるほど旺盛であることから幹線道の道端から農村地域の田畑に広がっては大変だということ。ほかに「ケシ」の一種でもあり麻薬成分が疑われるといったことから、「駆除対策を徹底」してほしいとの要望もあるほどです。それに対して「害悪」が判明したわけではないので「駆除」を強制するのは行き過ぎだといった声もあり、両論が争われているのが現状のようです。
いろいろ「見解が分かれている」ようですが、当方は、増殖抑制した方がよいとの判断で責任を持って行動しているつもりです。ご理解とご協力をお願いいたします。
写真は、空き地に増殖した「ナガミヒナゲシ」の花。来年は1000倍になるといわれる繁殖力。60年ほど前に貨物船で上陸したとみられ、輸送トラックなどで幹線道から住宅地に広がっています。結実前に茎を引き抜いて生ごみとして焼却処分が肝心と言われます。引き抜く際は必ず手袋をした方がよいようです。茎から汁が出るので(害はないようですが)汚れには気を付けたいものです。
4月の散歩は24回でした
10連休が騒がしいなか4月30日はパート仕事に精を出しました。
午後は天気もまずまずのため今月最後の”早足散歩”に出かけました。
結果4月の散歩は24回を数えることができました。まあ努力の結果ですが、月始めに以外と雨続きがあったのが少し影響したようです。
右ひざが痛いのだが、何とかかばいながら毎日60分散歩を重ねたいものです。
亀戸天神のふじ祭り楽しむ
世間は10連休で大騒ぎですが、こちらはパート仕事と天気予報を確かめながら近場を楽しむことになります。ということで連休3日目、東京・亀戸天神の”ふじ祭り”見学となりました。
亀戸駅前の広い通りは正午から歩行者天国となり、あちらこちらで大道芸が披露されていました。祭りにつきものの屋台も賑やかでした。亀戸天神境内のふじはちょうど見ごろでしょうかそれは見事でした。それよりも驚いたのは人の多さでした。とてもゆっくり紫のふじの花を楽しむムードではありません。あの2つの太鼓橋も超満員でお参り客は列を作っていました。外国の方も目立ちました。
歩行者天国をぶらぶら駅に向かっていると横道の商店街ではこいのぼり祭りが開催中でした。こいのぼりは風に舞うのではなく、すでに上空で横に並んで泳いでいるかのようでした。この催しはふじ祭りに協賛して開催されているようでした。
ふじ祭りは5月6日までだそうです。混雑を覚悟でお出かけください。
公園のフジが咲きました
公園管理に少しばかり関わっていますが、待望のフジが咲きました。
公園の一角に花壇が広がっています。その中ほどに藤棚兼休憩所があります。藤棚というのは、公園ができた時に作られたものだろうと推測されます。ところがほとんどの人はフジの花を観た記憶がありません。そこで10年ほど前のこと、近所の人が「鉢植えのフジが手に負えなくなった」ということで公園花壇に持ち込んできた。いろいろ考えた上で「藤棚復活」を目指すことにした。そのフジが昨年から咲くようになり、こと
しは「見事」と言えるほどになりました。
写真は、藤棚の風景とフジの花です。今後とも見ごたえのある藤棚のために奮闘します。お楽しみください。
平成時代”トリクルダウン”はなかった
過日のこと朝日新聞「オピニオン」面のインタビュー記事を興味深く読みました。記事は「財政の機能不全」について元地方財政審議会長に聞くというもの。興味深くと言っても難しい話なので理解など到底困難であり、断片的に解釈でしかない。
例えば「本来の財政とは、社会に生じる様々な困難を解決して、国民を幸せにするもの」だそうである。なるほどとうなずく。ところがである、平成時代の財政は「人々を不幸にしてしまった」という。ちょうど、年金が急減した上に物価上昇、秋の消費税率引き上げ予定など考えると、庶民としては「不幸に」追い込まれたのは「財政」のせいなのかと納得したわけ。
ここはよく理解できないが、90年代「後半以降は政府が構造改革の名の下で進めた政策減税」が税収を落としてきたらしい。それが「不幸」の源のようである。その減税というのは「上げ潮政策」と呼ばれた”減税による経済成長の実現”という財政運営らしい。奮闘努力した企業や社員が報われれば次第に「低所得者層にも恩恵が行き渡る『トリクルダウン』が起き、税収も増えるという算段」だったそうである。
ところが、大企業や高所得者に減税しても「経済は成長せず、税収は下がる」結果となってしまった。とても”下層に滴り落ちる”ことはなかったようである。しかし”経済成長のためにもっと減税を”との政策が続いたらしい。
それが現在へ尾を引いているのかもしれない。低所得層庶民がしわ寄せを受けている構図のようである。そこで偉い方は「政策形成能力がある野党が育たなかったため」とおっしゃる。その野党を育てるのは選挙権を持つ国民ということになるでしょうか。財政運営で「不幸に」追いやられた庶民も少しだけ賢くならなきゃいかんということか。