集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

知人とのコロナ談議

 新年おめでとうございます。

 本年もお立ち寄りをよろしくお願い申し上げます。

 そんな決まりきったあいさつのあと知人は「コロナが大変だ!!」と声を強める。それも娘たちが都内へ通勤しているために帰宅するとまずはあちらこちらと消毒が欠かせない~模様。本人はクルマ移動がほとんどで、バスや電車を利用しないために不特定多数との接触が少ない。しかも「コロナは全然見えないのが怖い」とういう。さらには英国ほかで広がっている「変異種とか言うのはさらに恐ろしい」と心境を話していた。

 全く同感である。当方のパート仕事はバス利用だがマスク無しの人はほとんどいない。むしろちょっとの咳払いでも近くに座っていた人が席替えすることがあるほど皆神経をとがらせているようだ。仕事は1人の作業だが絶えずマスクをしながら黙々と動き回る。

 お互いに「コロナに対する不安」を話しながら、「夏からのオリンピックがどうなるだろうか」が話題になった。知人は「オリンピックが無くなると経済が成り立たなくなる」と心配する。それはわかるが当方は「ほんとうに開催できるのだろうか」とコロナの行方を心配しながら「中止した方がよいのでは」といまの思いを話した。知人は「そうだけど。すでに様々な予算が決まっており、中止になったらすべてがご破算になってしまう。設備費、コロナ対策費、航空会社、鉄道会社、ホテル、飲食店などなど、立ち行かなくなるだろう」。

 その通りだろう。といって「オリンピックにこだわると」、いまのコロナの勢いからすると夏までに終息するだろうと見通しを持てる人はいないだろう。むしろコロナ感染がこれ以上増えない方策を強く打ち出すことが「終息を早めること」になり、それがひいては「経済活動」にも力を与えてくれるのではないだろうか。そんな話をした。

 お互いに「コロナには、本当に気を付けて良い1年にしましょう」と話しながら別れました。