集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

奨学金のこと2題

 給付制奨学金がスタートしたと報道されていました。とても良いことだと思いますが、記事によると問題点も多いような気がしました。

 奨学金というと私などは日本育英会(?)を思い浮かべますが、いまは違うんですね。

 私は、夜間定時制高校に入学しましたが、しばらくするとある先生から「奨学金を利用することができるが、ぜひ利用してほしい」と呼びかけられた。そのころ私は、小さな印刷工場で住み込み見習い行員として働いていた。経営者の理解の上で通学していたので経済的な不安はなく、奨学金は必要ないと断った。それでも先生はあきらめずに「いまは必要ないかもしれないが、将来のために申請書を書いてほしい」というので先生の説得に従い奨学金を受けることにした。それから4年間奨学金を得ながら定時制高校を卒業した。

 卒業後、返還が始まると初めの頃は問題なかったが、夜間大学に進学し、さらに印刷工場から新しい職場に移るなど転職を繰り返しながらの生活が続いた。大学卒業後に正規の定職を得たものの35歳前後になるとゆとりある生活とは縁遠くなっていた。結婚後は返済も滞り、ついに担当者が返還催促のために訪問するようになった。見かねた嫁さんが「滞納全額」を一括支払いしてくれて一件落着した。

 借りたものは返さなければならない。それは理解しているのだが、現実の生活に窮すると滞ってしまう。その期間が長引くことも理解してほしいものである。

 もう一つは、子供の教育資金のことである。勤務先が思わしくなく生活もゆとりのない状況で大学進学を応援した。その結果初めの頃はさほど問題はなかったが、後半になると育英会奨学金や大学が設けている貸付金制度を利用しながら卒業までこぎつけた。貸し付けを受けていることは子供にも伝え、返済は子供の口座から引き落とすが親子で責任を持つということにした。その返済が子供が卒業後数年間続いたが、無事に完了したときは親子ともどもに「安堵感」を覚えたのである。

 子どもが在学中のこと、学費が滞り大学から催促が来ることがあった。そのころ勤務先で遅配、欠配が起こり家計がピンチになっていた。しかし、ある銀行に少しばかりの預金がありそれを取り崩せば学費の足しになると考え銀行に相談に行った。銀行は勤務先の事情などを把握したうえで「解約には応じられない」という。当方は「しかし、預金は私のものであり、私が使いたいといっているのだから了解してほしい」と訴えた。それでも銀行は応じない。そこで「最後の手段を考えます」と席を離れようとすると、担当者が「最後って何ですか」という。「子供を退学させます」というと。「そうですか、仕方ありません。了解しましょう」と、預金解約に応じてくれた。そんなことがあり、子供は何とか4年間大学に籍を置くことができた。

 子供は4年間に何を学んだかわからないままだが、一時スポーツ選手として頑張っていたが、今ではレストランに職を求めて生活している。