集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

平成時代”トリクルダウン”はなかった

 過日のこと朝日新聞「オピニオン」面のインタビュー記事を興味深く読みました。記事は「財政の機能不全」について元地方財政審議会長に聞くというもの。興味深くと言っても難しい話なので理解など到底困難であり、断片的に解釈でしかない。

 例えば「本来の財政とは、社会に生じる様々な困難を解決して、国民を幸せにするもの」だそうである。なるほどとうなずく。ところがである、平成時代の財政は「人々を不幸にしてしまった」という。ちょうど、年金が急減した上に物価上昇、秋の消費税率引き上げ予定など考えると、庶民としては「不幸に」追い込まれたのは「財政」のせいなのかと納得したわけ。

 ここはよく理解できないが、90年代「後半以降は政府が構造改革の名の下で進めた政策減税」が税収を落としてきたらしい。それが「不幸」の源のようである。その減税というのは「上げ潮政策」と呼ばれた”減税による経済成長の実現”という財政運営らしい。奮闘努力した企業や社員が報われれば次第に低所得者層にも恩恵が行き渡る『トリクルダウン』が起き、税収も増えるという算段」だったそうである。

 ところが、大企業や高所得者に減税しても「経済は成長せず、税収は下がる」結果となってしまった。とても”下層に滴り落ちる”ことはなかったようである。しかし”経済成長のためにもっと減税を”との政策が続いたらしい。

 それが現在へ尾を引いているのかもしれない。低所得層庶民がしわ寄せを受けている構図のようである。そこで偉い方は「政策形成能力がある野党が育たなかったため」とおっしゃる。その野党を育てるのは選挙権を持つ国民ということになるでしょうか。財政運営で「不幸に」追いやられた庶民も少しだけ賢くならなきゃいかんということか。