集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

「コロナ」の収束を願いながら考える~世界の経済停滞

 新型「コロナ」ウイルスの感染拡大がいずれ収束するだろうけど全世界では確かな見通しがないのが現状。そんななかで、報道などを見ながら考えられることをメモしようと思う。

 ウイルス感染が全世界に広がったことから、「世界恐慌」(1929~)以来の経済停滞になるかもしれないといわれる。その「世界恐慌」とはおよそ100年前の出来事らしい。人生100年時代というものの当時のことを実体験として語れる人はいないと思う。我々が想い出すのは「リーマンショック」(2008年秋)による経済停滞だろうか。すでに「コロナショック」(2020年)による経済停滞は「リーマンショック」時を超えたと伝えられている。

 日々伝えられることから、飲食店などの廃業、アパレル・レナウンに見られるように観光関連業の倒産などが続いている。でなくとも航空会社やJRだって売り上げは極端に減っているらしい。経営の苦しさに変わりはないだろうと思う。

 廃業や倒産が続くことは、社員、従業員が失業することに直結する。従ってアルバイト、パート、派遣社員契約社員そして正規の社員までが失業する。失業者の増大であり「雇用手当」給付が増大することになろう。失業者の増大はそれなりに「社会不安」につながることも予測される。同時に財政負担の増大にもなるだろう。

 廃業や倒産の増加による失業者の増加、つまり失業者の生活を支える政策を実行することを自治体や政府に求めることは自然な発想だと思う。コロナ感染のさなかで米国では警官による人種差別的な黒人殺害が大規模な抗議にさらされている。それは米国だけでなく全世界に広いがっている。「コロナ」はそんな社会情勢を作り出しているのかもしれない。