集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

夜間高校時代の印刷所を探す

 同期会の帰りに17歳から7年以上お世話になった印刷所のあった街を尋ねることにした。最寄駅から都電通りを通り越して直進すると交差点に差し掛かる。少し手前の右側に車の通れない路地があり、その奥に印刷所はあった。今どうなっているだろうか。道筋を確かめながら進むとなんとなく思いだした。

 随分と変わってしまった。それもそうだ。もう50年以上も前のことだからそのまま残っているはずもないだろう。丹念に歩いてゆくと当時印刷所の代表者(旦那と呼んでいた)の表札を掲げた私邸が見つかった。確かにここに印刷所があったのだと確認できた。しかし、当時は工場の前にリヤカーが入れたし、しばらくすると軽トラックも入れた。それが現在は軽トラなど入れる広さがなく狭い路地になっていた。しかし曲がりくねった路地は当時のままであった。

 ちなみに、当時若い者同士で活字を貸し借りしていた裏側の総合印刷会社は今も営業しているようであった。会社の入り口角地には古風な創業者私邸が健在であった。だが表通りに面した図書館はなくなり公園になっていた。

 ほかに近くにあった紙器工場や製袋工場、自動車学校なども訪ねたかったが時間が遅くなり探訪を切り上げた。50年ほど前の道筋は変わりない模様だったが建物や風景が様変わりしてびっくりしてしまった。