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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

印刷工場の仕事はなんでも手伝う下働き

  印刷工場といっても業種は、伝票類印刷がほとんどで端物(はもの)屋と呼ばれていた。近くには従業員30人ほどの印刷会社や名刺・はがき専門の店もあり協力しながら営業していた。仕事は職人の手伝いや下働きだった。

 起床すると住居、工場の掃除、仕事の下準備に取り組む。この作業が前の職場での経験が生きてテキパキと進み、工場主に一目置かれるようになった。これは「うれしい」限りであった。

 工場内には、大小の印刷機が2台、活字棚、植字台といった配置だった。工場内の作業は文選、解版、インクローラー洗い、用紙の補給、印刷物の整理など。関係業者には活字屋、用紙の断裁屋、鉛版屋、製本屋が営業しており、それぞれ仕事の依頼、引き取りの運搬作業をこなした。少ない印刷物の場合は自転車で製本屋に運んだが量が多くなると製本屋からリヤカーを借りて自転車の後ろにつないで運ぶしかない。この仕事は力も技術も求められなかなか難しい作業だった。 

 活字がなくなると、電話で注文するわけだが、まず部首を説明し次いで読みを音訓で伝える。または熟語を説明しながら注文したい活字を伝える。こうしたやり取りでは随分と漢字の学習になたっと思う。それでも伝えきれない場合はパスして次へ進んだ。すると欠品になってしまうので、近くの印刷会社を訪ねて文選担当者にお願いしてもらい受けて間に合わせた。

 用紙サイズについても当時の学習で身につけた。A判サイズの大きな用紙を2分の1に切るとA2になる。それを半分にするとA3になる。さらにその半分がA4である。つまり大学ノートなどのA4判はA全判を8等分したものである。B判も同じである。また用紙の重さ・厚さは「斤」で量っていた。例えばA判50斤を5連(枚数の梱包)といった説明で注文していた。いまではキログラムに置き換えられている。用紙店に注文すると連単位で納入してくれる。量が多くなると断裁屋経由で希望のサイズに裁断され、それを自転車で運ぶのが仕事だった。

 印刷屋の仕事は時々午後9時までの残業があった。もちろん割り増し手当てがついたため、手取り額は少しだけ増えていた。それだけ遊び時間も少なくわずかながら貯金することもできた。そんな話が友人に伝わったのか借金の申し込みがあり、用立てしたが本人からの返済は今もってない。彼は郷里で一時商売を始めたと聞いたが3年ほど前に亡くなった。ご冥福を祈る。