集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

ありえない法案ミスを想う

 新聞やテレビで相次ぐ「法案ミス」が話題である。日を重ねるごとに「ミス」の数が増えるのを見ていると「なぜだろう」と思う。確かに「多忙」とか「人員不足」があるかもしれない。しかし、それは理由にはならない。そのような任務作業の流れを容認した責任者が「明確な責任感」を持っていたかどうかが問われなければならない。思うにいつの間にか「忖度」が幅を利かすようになり「提出法案は2の次」になっていたのではないだろうか。

 昔のことだがサラリーマンになったころ、試用期間の研修だったと思うが「校正」作業を手伝ったことがある。文章を2人で読み合わせながら「校閲」、「校正」する仕事である。もちろん大先輩と試雇期間の若者がペアを組んで「校正」作業を進める。

 簡単な例で言えば、人名の「カワムラ」の場合「3本川」か「サンズイ河」を分かりやすく言葉で表現する。また「モリオカ」の場合だと「木の森」か「さかる盛」、「オカ」の方は「岡山県の岡」か「小高い丘」または「キュウの丘」など大先輩が読み手として指導してくれた。だからほとんど間違いはなかったように思う。今回「カナダ」と「英国」の間違いも指摘されているが、これなどは「読み合わせ校閲」がなかったか上司がほとんど責任放棄していたかだろう。

 元官僚議員が「昔はこんなことはなかった」と嘆いて見せたらしいが、現職官僚は「人員不足」や「多忙」を言い訳にしているようだ。だとすれば「提出法案軽視」を官僚組織が容認していることになる。任務にあたるべき組織がどれだけの人員やら時間を必要とするかの判断を誰が責任をもって統括するか。ピラミットの底辺から積み上げて最上級の者が明確に判断すべきことである。そのような仕組みができていないから「人員不足」なら「提出法案」は「欠陥もやむなし」では済まされない。

 元(源)から”叩き直さなくては”ならない。元凶はトップにあるのは当然のこと。