最低賃金引き上げと問題点を考える
10月から最低賃金が引き上げられ、それに合わせて当方のパート時給も少しばかりあがることになった。そのことに感謝しています。
最低賃金に関する識者のコラムを朝日新聞で読んだ。金融面の「経済気象台」で、見出しは「最低賃金論議への違和感」というもの。
識者の言う違和感とは、最賃を引き上げると企業負担が増えてしまい結果的に雇用を減らす可能性がある~というエコノミストたちの論理らしい。結局最賃を低く抑え込むことに加担する論理というわけだ。それは指摘の通りだと思う。
また「最賃は03~18年年間に32%増えたが、全労働者の賃金の中位数は同期間に2%減った」ともある。ここがポイントだと思う。確かに最賃は増えたが全労働者の賃金は最低賃金に引きずられてしまい「家計の生活水準が下がった」というわけ。
ただ識者は”最低賃金を払えないような生産性にある企業の体質”を問題にする。最低賃金を上回る賃金を支払えるような企業体質をつくることが先決問題との認識のようである。ご無理ごもっともというしかないが、小零細企業にそうした言葉を投げかけるだけで事業活動が前途を開けるとは思わない。そこにはどうしても大企業に認められている開発減税のような援助が求められるような気がする。
最低賃金を引き上げることは全労働者の賃金水準も引き上げるような仕組みが求められている。同時に最低賃金を上回る賃金支払いでも安定した事業が維持できるような制度の整備も待たれていると思う。
識者のコラムを読みながら感じた次第である。
消費税10%の衝撃とさまざまなデータ
「消費税10%」の衝撃が走っているといった感が強い。
知人が持ち込んだデータによると、消費税が導入された1989年から今年までの消費税額は397兆円だという。一方法人3税の減収累計は298兆円、所得税・住民税の減収累計は275兆円。二つ合わせた減収は573兆円。この穴埋めに消費税が使われたともいえる。
所得税は、1988年最高60%だったのが現在は45%という。住民税は1988年が16%でしたが、現在は所得とは関係なく10%である。
低年金で生活が苦しい高齢者がパートに出ると就業人口が増えたといわれる。若い人でも非正規であっても仕事を求めざるを得ない。つまり「働く貧困層」が温存、堆積されるのがいまの社会。ますます格差は広がる一方である。そのことに目を向けない為政者の姿勢が問われている。
消費税が5%になった1997年から2017年の間に先進国のGDPはアメリカが227%、フランス178%、ドイツ166%と伸びている。わが国は110%と見劣りする。20年間で10%の伸びというのはほとんど経済成長がなかったに等しいのではないだろうか。
ほかのデータもあるが、消費税増税は、人々の生活を豊かにすることではなく格差を広げる役割を果たし経済成長さえも阻害しているといえそうだ。
「消費税は廃止」に同調する。そうでしょう。
飽きれた原発のずぶずぶ関係、恥ずかしい
いやはや~、こんな醜いずぶずぶの関係が見えたというのは、なんか恥ずかしい感じでもある。あの関西電力と福井県高浜町との関係である。町の有力者が関西電力の役員など20人に3億円余を貢いだというもの。全貌が明らかになったわけではないので何とも言いようがないが、3日までの報道で感じることを書き留めておこう。
ありうることが公になったことを喜びたいが、そんなことは許せないと怒り心頭である。町の有力者の「金集め」の仕方や関電への「貢ぎ」の仕方など一般的に許せない。しかも反対が根強かった「原子力発電所をめぐる話である。
報道でわからない点がある。関西電力は、町の有力者の「怒り」が怖くて「つき返せなかった」そうだが、その後にほとんどを返したという。一時保管していたものを「返した」のだから、「いつ」、「誰に」返したのかを明らかにするのが、報道各社の仕事だろう。
同時に「返金」や「返品」を受けた人は、それをどのように扱ったのか。亡くなった有力者が受け取ったのか、それとも地元企業が受け取ったのか。現金にして3億円にもなるというから、斯くしようがないように思える。
3日付夕刊紙は「政治家」への「飛び火」を報道した。この辺りの続報を待ちたいものである。
この問題を解明するために、関西電力の第3者委員会構想がある。また、国を加えた解明機関の設置を要望する声も報道されている。権力機関は原子力村の後ろ盾であり、忖度が横行しているなかでは、民間主導の実態解明機関こそが求められていると思う。
いずれにしても、関西電力の「カネをばらまいて地元を黙らせる」原子力村の体質が明らかになったことは残念乍ら良いことといえようか。東電の無責任体質と合わせて、許せない原子力企業と「安心神話」をよ~くよく考えること大事だということ。
映画「一粒の麦」を楽しむ
9月28日午後、映画「一粒の麦~荻野吟子の生涯」を観ました。
モデルとなった”荻野さん”についての知識は全くなかったため、どれだけ理解できたか不安も残りますが、楽しく鑑賞しました。作品に感謝です。
パンフレットによると、荻野吟子は、ペリー来航よりも前の1851年(嘉永4年)に現在の熊谷市に生まれた。若くして結婚するが1年ほどで実家に戻り、治療のために東京の医者に掛かり、そこで女性医師の道へ進むことを決意する。慶應から明治に変わっても男尊女卑の習わしは変わらず、女性医師を認めない制度は堅固であった。そうしたなかでもあきらめることなく「女性医師」承認を求めて勉学し、制度改変を求め続けた。
ようやく希望がかなえられ医院を開設できたのは1885年(吟子34歳)であった。こうして「日本で初めての女医」荻野吟子が誕生した。
その後は、キリスト教の洗礼をうけ「男女平等」に感銘を受け乍ら、医師として女性解放の運動に熱心に取り組む。同時に新しいパートナーと巡り合い、恵まれない子どもたちの面倒も見るようになる。
1913年(大正2年)吟子62歳にして他界。その生涯を60分余の映像で知ることができました。
制作は、現代ぷろだくしょん。監督は山田火砂子。吟子役は若村麻由美、ほかに佐野史郎、賀来千香子、柄本明等が登場します。写真は解説パンフの表紙(500円でした)。
百日紅(サルスベリ)の花
住まいの近くにサルスベリの花を見つけました。
花の色は赤といっていいでしょう。近づいてみると黄色の花の芯でしょうかありました。おしべとめしべでしょう。すでに小さなサクランボのような実もつけていました。この木の花は7~10月にかけて咲き、今が見ごろのようです。
木の名前は、サルも滑り落ちそうに木の肌がつるつるしているから名付けられたようです。元々は「百日紅」が原産の中国名のようです。それは100日以上も花が咲いているからということのようです。ところが花自体は「1日花」といわれるようにせいぜい2~3日で落ちてしまうようです。新しい花が次々咲くのでしょう。
公園管理を手伝っている公園の近くには、赤い花のほかに白やピンクなど5種ほどが見られます。そのサルスベリの木は花が終わるとほとんどの枝が剪定されます。それでも翌年には枝が生え、花を咲かせてくれます。
サルスベリの木と花はいろいろな楽しみ方があるようです。