集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

「空洞化」から新しい資本主義の模索を!

 しんぶん「赤旗」の連載「グローバル経済の迷宮」はサブタイトルに「製造業の空洞化」を掲げている。従ってわが国の産業経済を引っ張ってきた電機産業と自動車産業にスポットを当てている。

 国内総生産の国別推移などをデータで示しながら、中国の成長ぶりを示す。中国の輸出で中心を占めたのが電気機械だったようである。電気機械中間財の輸出の推移(対東アジア域内)をグラフで示しているが、アセアン、中国、韓国、台湾が増加しているのに対して日本のみが減少しているのが理解できる。

 家電製品を含む電気機械最終財の輸出を見ても中国の輸出が急成長しているのに対し日本は下降線をたどっている。

 これらについて「しんぶん」は「電機産業は崩壊過程」との見出しを建てている。また連載2回目の見出しは「日本だけ成長せず敗北」としているが、この表現はいかがなものでしょうか。国別競争のイメージは必要かもしれないが”日本の敗北”は次元が違うような気がするのである。

 連載4回目では、自動車産業を取り上げている。グラフ「自動車生産上位8か国の生産台数の推移」でも中国の急成長ぶりがうかがえる。やはり日本はかつての首位から3位に後退している。しかも日産のように日本での生産よりも外国での生産が多い例が見られるようになったらしい。遠くない時期に車の逆輸入時代が到来するようである。

 問題点を指摘しながら、連載は「国内生産と技術を守り発展させる新しい資本主義のあり方を、日本でこそ、模索すべきとき」と結んでいます。

 さまざまな問題を考えさせてくれる連載に出会えたことに感謝しています。

グローバル化によるいまの現実

 下流老人予備軍としていわゆる「格差」とか「貧困ライン」などに関心を持っていますが、このほど政党機関紙「赤旗」の連載記事に”驚き”を感じた。

 連載1回目の末尾を紹介します。

 「海外投資の急拡大は、日本だけでなく先進国全体の空洞化・衰退、国民の職の喪失、貧困化、そして福祉国家の崩壊を招いています」。 

 つまり、どんどん進んできた海外投資がいまや人々の職を奪い、貧困化または過疎化の要因になっているということではないでしょうか。この記事の読み違いでなければ当方の理解も勘違いではないことになる。

 この連載は「グローバル 経済の迷宮」(サブタイトルは製造業の空洞化)のタイトル。2月20付から23日付まで4回掲載された。記事の形態は、最近『空洞化と属国化』という著書をまとめた名古屋経済大学名誉教授・坂本雅子氏のインタビューをまとめたものである。

 記事は「グローバル化」とは「IT化と一体となった経済活動の地球大の広がり」のことという。同時に「多国籍企業が母国を捨てて海外投資を激増させた放恣な企業活動そのもの」とも説明する。*放恣(ほうし)とは、勝手気ままで節度がないこと。

 それが冒頭の引用記事になるわけだ。とりわけ産業の空洞化とか国内地域経済の行方などを考えながら読み進むと”驚き”が続くのである。

 

河津桜開花

 河津桜が咲きました。  

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 私がボランティアで清掃管理している公園の河津桜が先日開花しました。

 この桜はなかなかの人気者で、3年ほど前は婚礼衣装のカップルが記念撮影するほどでした。少しづつ気温が上がると花の数も勢いを増してくるでしょうから、また様々な記念撮影の背景になるかもしれません。期待しています。

 咲きだしたのは、「雨水」の2月19日(月)でした。

 この「雨水」(うすい)というのは,24節気のひとつで「立春」の次の時節で、そのあとは「啓蟄」(けいちつ)となります。「雨水」は空から降るのが雪から雨に変わり、気温も緩むために雪解けが進むころといった意味らしい。昔から農耕を始める目安とされています。とは言うものの実際の気候はきびしい寒さが緩み始めるころで大雪警報さえ出されます。昔からの気候に名付けられた呼び方ですがなんとなく”季節感”があると思いませんか。

 さて来年は、いつごろ「河津桜」が開花するだろうか。記録も楽しみにしたいものである。

      

 

 

 

「死ぬまで働く」は最良の人生

 高齢者の貧困実態は様々な形で取り上げられている。最近『続・下流老人』(藤田孝典著、朝日新聞出版)を読んだ。この本は、高齢者が「死ぬまで働かざるを得ない」現実を告発し、それを解消するため様々な政策を提言している。高齢者の現実をまとめた著作として「あっぱれ」と申し上げたい。

 下流老人の仲間として、「死ぬまで働く」ことは老人人生の最善だと思う。もちろん”後期高齢者”となったら「悠遊自適」とか「優雅な余生」が送れるならそれは幸せだろうと思う。単に願望ではなく富裕層では何ら心配などなく「優雅な余生」を楽しんでいる方々がおられることだろう。羨ましい限りである。

 「下流老人」に組み込まれない<候補老人>であっても、今と今後を生きるために「働き続けている」のが現実である。そしてほとんどは「働ける間は働こう」と考えているのだ。それが最良の人生ではないだろうか。

 考えてみよう「働ける」ということは「働きたい」という意思も必要だが何よりも「健康」でなくてはならない。だから「健康」の間は「働きたい」のだが、職場「雇用主」があるかが問題になる。高齢者雇用の開発は本人だけでなく行政も心掛けてほしいものである。

 「死ぬまで働く」(かざるを得ない)現実は、政策的な貧困であるのは当然すぎる。そうした現実の中で老人は「働ける間は働き」さらに「働きながら昇天できる」ことが最良とも考えるのだ。つまり「働けなくなった後の暮らし方」を考えたら、いかに他人の助けを借りながらの人生になるかわからない。大げさに言えば社会の損失にもなるだろう。

 誤解されては困る。福祉制度の充実や共助の生活を否定するのではない。むしろ実現に向けた奮闘を応援している。だがいわゆる「ぴんぴんコロリ」を願うものとして「働きながら昇天」が最善だと思う。それまで健康を維持することがさらに最善であるということ。

引き返しできない後期高齢者の気分

 一本道でも場合によっては引き返すこともできるのだが「後期高齢者」の門をくぐると引き返すことはできない。愚かなことだが当たり前のことに気が付き頭が重たくなった感じがする。

 昨年は、すぐ上の兄が他界した。90歳を前にする姉が入院し長引いている。友人知人の話にも病気のことや連れ合いの病状、老老介護の話などが増えてきた。元気で話ができるうちは良いのだがこのような状況がいつまで続くだろうか。いずれピリオドを打つのは決まっている。

 特に「後期高齢者」の門をくぐったとたんに今までと生活サイクルが変わらないのに「体調の変化」が気になりだした。この7~8年間健康診断を受けたことがなかったが、正月明けに診断結果の説明を受けた直後に目眩がしてしまった。これなど気分の問題だろうかはたまた身体異変なんだろうか。いずれにせよ「後期高齢者」らしい体力になってきたのだと思う。

 それだけではない。この寒さや大雪のために野菜をはじめ食料品が値上がりしている。それを「デフレ脱却」のために政府が誘導しているらしいことを知ると腹が立つのだ。パート収入でようやく夫婦が生き延びているのに、モノの値上がりは真綿で首を絞められている感じである。パート仕事はいつまで続けられるだろうか。最近の体調から考えると「長くて2年だろう」。その時期はオリンピック前後だろうか。パート収入が絶たれたころオリンピックなどで騒いでいられる状態ではないのだ。

 さらに、その時期は消費税率が引き上げられることも引き返しのできない苦しみの始まりだろう。今も減り続けている年金はさらに減っているだろう。

 政府主導による「デフレ脱却」を目指した物価の押し上げ、消費税の引き上げ、年金の引き下げがこれから襲い掛かってくる。当方にとってはパート収入が途絶えてしまう。今でさえ市民農園で作った野菜でつつましい生活を維持しているのに、収入がどんどん減っていったときどうするか。

 後期高齢者の体調を考えると医療費はずしりとのしかかってくるに違いない。そのうえで人の助けを必要とする時期もそれほど遠くないだろう。それは1人ではなく夫婦が揃ってということもありえるのだ。

 もの本によると「平均寿命」のほかに「健康寿命」というのがあるらしい。男の場合その開きは約9年とか。「健康寿命」後でも人の助けを借りながら8~9年は生きることができるといった感じだろうか。ということで「後期高齢」期で体調異変に気づいたら「健康寿命」に邁進していると悟るべきだろう。「健康寿命」を経ずに他界することはいわゆる”ぴんぴんコロリ”である。そのためには普段の人一倍の健康管理と努力が必要であることは間違いない。

 そんなことを考えると「夜も眠れない」気分である。それが病気の始まりになりそうなのだ。

沖縄「軍曹の美談」にびっくり

 その昔のこと、米国のベトナム戦争に反対したり沖縄返還運動に参加したことを想い出しながら今でも「沖縄」をめぐる様々な問題に無関心ではいられない。

 先に名護市長選挙では、自民・公明・維新の推す基地賛成派が当選し、現職の基地反対派が敗れた。ヘリコプター事故が相次いでいる中での選挙結果だけに、市民の意思判断は正解だったのかどうか判断に迷っている。どうも今回は宗教団体のテコ入れが当落を左右したとの報道があるから、信心深い方々の判断も良く理解できない出来ごとである。

 きょう(2月9日)の新聞では、昨年12月に産経新聞が報道したいわゆる”米国海兵隊軍曹の美談”なるものが、取材不足から削除、謝罪したと報道されびっくりした。 

 当方の驚きは、記者が海兵隊のみの取材で記事をまとめたこと。海兵隊に取材した記者は日頃の思考に従い”これはニュースだと”思い込んでしまいある意味で小躍りしながら記事を仕上げただろうと思う。ここには事実の検証よりも「海兵隊の説明に間違いはない」といった日頃の社内的雰囲気が先行したのではないかと懸念する。

 もう一つは、ちょうど2ヵ月後の”謝罪”ということ。検証には時間がかかったと思うのだがなぜ「これまで長引いたのか」との疑問がある。

 マスコミの姿勢が問われているときだけに非難や訂正、謝罪のない新聞、テレビのあり方を望んでいます。

「貧困ライン」が下がるということは?

 マスコミ報道によると「貧困ライン」が話題のように感じる。どのようなことか素人なりに考えてみました。 

 まず「相対的貧困率」というのがあるそうだ(これとは別に「絶対的貧困率」という考え方もある)。これは、等価可処分所得に従い全国民を並べたとき真ん中に位置した人の額を「中央値」とし、その2分の1の額を「貧困線」と呼びます。このライン未満の所得の人たちの割合が「相対的貧困率」というわけ。マスコミでこれらの問題が取り上げられた模様です。

 この間、相対的貧困率は9%前後を上下しているらしい。1999年が9・1%、2004年が9・5%、2009年が10・1%、2014年が9・9%である。もう一つの「貧困ライン」は、99年が157万円、04年が151万円、09年が140万円、14年が133万円と下がり続けている。貧困ライン(中央値の2分の1であるから)は中央値に連動するために生じた結果といえそうだ。

 貧困ラインの所得額が下がるということは、「ライン」以上の人たちは「貧困」から脱出したとみなされるわけだ。本当にそうだろうか。09年には年所得140万円未満が貧困層とみなされたが、5年後には133万余の人は貧困層とはみなされなくなった。いま現在から見ても3年ほど前のことである。 

 先の、『週刊現代』の記事は「アンダークラス」が激増し続け、これは「格差」ではなく新しい「階級」を形成していると強調しているが、こちらの方が現実感がある。

 可処分所得の「中央値」が下がったことは、低所得層が増えた結果だろうと推測する。それにつれて「貧困ライン」が押し下げられるわけだが、ラインを少しでも上回った人たちを援助対象から除外する論理に仕立て上げるているようで悲しいことである。

 もっともっと学習を重ねたいものである。