集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

引き返しできない後期高齢者の気分

 一本道でも場合によっては引き返すこともできるのだが「後期高齢者」の門をくぐると引き返すことはできない。愚かなことだが当たり前のことに気が付き頭が重たくなった感じがする。

 昨年は、すぐ上の兄が他界した。90歳を前にする姉が入院し長引いている。友人知人の話にも病気のことや連れ合いの病状、老老介護の話などが増えてきた。元気で話ができるうちは良いのだがこのような状況がいつまで続くだろうか。いずれピリオドを打つのは決まっている。

 特に「後期高齢者」の門をくぐったとたんに今までと生活サイクルが変わらないのに「体調の変化」が気になりだした。この7~8年間健康診断を受けたことがなかったが、正月明けに診断結果の説明を受けた直後に目眩がしてしまった。これなど気分の問題だろうかはたまた身体異変なんだろうか。いずれにせよ「後期高齢者」らしい体力になってきたのだと思う。

 それだけではない。この寒さや大雪のために野菜をはじめ食料品が値上がりしている。それを「デフレ脱却」のために政府が誘導しているらしいことを知ると腹が立つのだ。パート収入でようやく夫婦が生き延びているのに、モノの値上がりは真綿で首を絞められている感じである。パート仕事はいつまで続けられるだろうか。最近の体調から考えると「長くて2年だろう」。その時期はオリンピック前後だろうか。パート収入が絶たれたころオリンピックなどで騒いでいられる状態ではないのだ。

 さらに、その時期は消費税率が引き上げられることも引き返しのできない苦しみの始まりだろう。今も減り続けている年金はさらに減っているだろう。

 政府主導による「デフレ脱却」を目指した物価の押し上げ、消費税の引き上げ、年金の引き下げがこれから襲い掛かってくる。当方にとってはパート収入が途絶えてしまう。今でさえ市民農園で作った野菜でつつましい生活を維持しているのに、収入がどんどん減っていったときどうするか。

 後期高齢者の体調を考えると医療費はずしりとのしかかってくるに違いない。そのうえで人の助けを必要とする時期もそれほど遠くないだろう。それは1人ではなく夫婦が揃ってということもありえるのだ。

 もの本によると「平均寿命」のほかに「健康寿命」というのがあるらしい。男の場合その開きは約9年とか。「健康寿命」後でも人の助けを借りながら8~9年は生きることができるといった感じだろうか。ということで「後期高齢」期で体調異変に気づいたら「健康寿命」に邁進していると悟るべきだろう。「健康寿命」を経ずに他界することはいわゆる”ぴんぴんコロリ”である。そのためには普段の人一倍の健康管理と努力が必要であることは間違いない。

 そんなことを考えると「夜も眠れない」気分である。それが病気の始まりになりそうなのだ。