集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

豊かさをうらやましがらない「層」の保守思考

 とりわけ「高齢者の貧困」に関心を持ちながら”あれやこれや”考えているおり、またしても朝日新聞の記事に目が留まりました。18日付林真理子さんへのインタビュー記事。大きな見出しは「野心も欲望も薄いよ」というもの。

 参院選はゴール寸前。老人は「選挙権を無駄にしてはいけない」というのが信念。そんな気持ちで読んでいると、「いまの若い人たちは貧しくても、豊かさをうらやましがらない」のが特徴だという。そのために社会や政治の仕組みを変革してゆこうといった発想は出てこないだろうというわけだ。いわゆる「選挙」に対する無関心層とでもいうのでしょうか。小難しいことには関わりあいたくないといった気分でもあろうか。

 老人なりに考えると、「貧しいなりにその現状を受け入れながら余計な変化・変動を好まない」といった感じでしょうか。確かに、老人が少年のころ(60年以上も前のことか)山奥での貧困生活から脱出するにはどうすればよいかを考えていたが、「現状のままで致し方ない」と決断すると、あれもこれも”わずらわしさ”に思えてならないだろう。

 そうした「現状安住層」が年齢に関わらず、増えているのでしょうか。それが変革ではなく「保守的勢力」の安定化を支えているのではないだろうか。もう一つトップ見出しの「牛丼をかきこむ覇気ない男性の姿」には表現上の違和感を持つが、現実の姿を現しているようにも思える。夜勤を終えて、牛丼をかきこんで我が家に向かうのか、または牛丼で腹ごしらえしたうえで現場に向かうのか、確かにそうした男性が年齢を問わずに目につくのである。「それがどうした」といわれそうだが、そうした現実を参院選なりいまの政治はどのように受け止めているのだろうか。

 先のアンダークラスの一面だと思うのだが、数年先の大きな課題だと思うのである。