集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

松ヤギで飛行機は飛んだのだろうか?

 数年前のことだが地域で開かれた「戦争体験を聞く会」に参加したことがある。ある高齢の方が「一生懸命松ヤギを集めて供出した」と語っていたことを想い出した。その「松ヤギはどのように使ったのですか」と質問した記憶がある。彼は「飛行機の燃料にするということで集めた」と何回も説明してくれた。ほんとうに「燃料になったんだろうか」といった疑問がずっと続いていた。

 朝日新聞15日付は「戦後76年」の企画記事を掲載していた。見出しは「クロマツ70本戦争の傷」。市民団体が地域を調査した結果を伝える内容である。あの戦争末期に松の木に傷をつけて松ヤギを集めた。その痛ましい傷跡がいまも残っている。これを「戦争遺跡」として保存しようと市民団体は要望書を提出したそうである。

 調査を担当した方は①松ヤギが航空機の燃料として使われた確かな証拠はない②国民の戦意高揚のために採取を奨励した可能性もある~とコメントしている。どうもこの解説が真実ではないだろうか。

 コメント解説にある「戦意高揚」が曲者である。終戦前のころは、竹槍で敵兵をやっつけるとか「神風」が吹くとか言われたそうですから、その一つに「松ヤギで戦闘機を飛ばす」と「火の玉一丸」を鼓舞したのでしょうか。いやはや。