集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

8月15日は「終戦の日」が適切と想う

 暑い8月15日。あの戦争が終わった日である。というものの当方に当時の記憶があろうはずもない。ただ1945年8月以前に撮影された1枚の写真が残っている。長兄が出征するので家族らで写真を残したものと聞かされたが、いつ撮影されたかははっきりしない。その写真に祖父におんぶされた幼い顔が映っている。それが当方である。

 ことし8月15日付の朝日新聞は「日曜に想う」で「終戦はごまかしのことばだ」を掲載していた。当方の理解だと、戦争を終結させるに当たり「終戦」という言葉を用いた文書が用意されたのに当時の鈴木首相は「終戦とはごまかしのことば」であり、敗戦を認めて「敗戦」に改めることを求めたそうである。そんな事情を想いおこした文章の運びのようである。

 以前も当方は「敗戦」と表現すべきか「終戦」を選ぶべきかを考えたことがある。どうも「敗戦」には「敗けて悔しい」、「勝っていればよかった」といった感情があるような気がしてならない。戦勝国として終わってほしかった~といった気持も見える。対して「終戦」は勝敗を抜きに「戦争が終わったこと」を意味するので、戦争が終わってほっとした」と同時に「戦争は勝敗にこだわらず許してはならない」~といった気持も表しているような気がする。

 そんな気分で76年前の8月15日は「終戦の日」でよろしいと思う。

 朝日の記事は、末尾の方で前安倍総理が6年前の談話で、最後に「日本は、敗戦しました」と記していると書いている。前安倍総理歴史観が見えるような気がする。戦争は許すべきではないとの思いを強くした8月15日です。