集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

酒仲間に飛び込んで「正義」を訴える彼

 パート仕事の帰りに駅前広場の休憩所に近づくとこちらに向かって手招きするおじさんの姿が目にとまった。おじさんは、昼頃から酒を楽しむ仲間の一人として上機嫌のようであった。屋根付きの駅前休憩所は交番のすぐそばにあり誰でも安心して休めるのだが結構酒好きのお年寄りが集まる場所として知られているところ。

 手招きするおじさんは、よく見ると20年来の親しい知人である。彼は関西の有力メディア管理職として東京で定年を迎えた。残念ながら子供さんに恵まれなかった。ということは孫にも恵まれない。定年後に酒に頼る生活が続くようになったのは、そんな思いがあったのではないかと思うのである。

 彼は、日頃から「正義」とか「改革」の必要性を訴えていた。酔いが回ってもその弁舌は変わることがなかった。おそらくそうした気性から呑み仲間を求めて駅前広場の休憩所に加わったのだろうと思う。昼頃から仲間とともに上機嫌になる人たちには共通の生きざまがあるようにも思う。そこに飛び込む彼の「思い切り」には「覚悟」も必要だったろう。

 昔のこと「境遇」や「思い」をともにすることこそが「信頼」につながることを教えられたことを思い浮かべながら親しい知人の彼と分かれた。