学生として学んだこと
4月の新歓行事で「資本論」を読めるというサークル(研究部)に入ることにした。
顔合わせに出るといかにも”もさ”といった感じの人もいた。その人の口から「資本論」が読めるというので参加したとの抱負が語られた。それがきっかけになったのか同様な発言が2~3人続いた。これは珍しいことだったらしい.
正規講座の合間を縫って研究会というか学習会が開かれると、学校職員となったOBが講師を買って出た。彼が選んだテキストが「資本論」ではなく「ものの見方考え方」 (文理書院刊)であった。先輩講師の説明は、「資本論」を読む前に「唯物論と観念論」の違いを理解しておいてほしい~といった説明をしたように思う。目次の落書メモを見ると、5月中頃から初めて7月末には終わろうとの予定だった。毎回チューターを決めて進行するとのメモも残っている。
詳しいことは想い出せないが、「観念と存在」とか「唯物論と観念論」または「理論と実践」などについて、日々起こっている現象を出し合いながら若者らしく議論したことが浮かんでくる。とりわけ”唯物史観”とか「理論と実践」については学生生活の中で学んだものと理解している。実践によって検証していく、そうした積み重ねで新たな到達点を身につけて行く。そんな日常生活とも関連しているような気がする。それほどカッコよくはないですけどね。
同期の仲間は、光学機器会社、繊維大手、燃料会社、大手電機の正社員たちだった。当方のほか数人が零細企業の従業員かアルバイト就労者であった。ちなみに在学中の先輩は時計大手社員と精肉店跡継ぎを除いてほとんど少なかった。それだけに珍しかったのだろう。OBは学校職員などの公務員が多かったようである。
後輩たちは、また多彩であった。なぜか新聞社や出版社、放送局のアルバイトをしながら学習会に参加するものが目立つようになった。なかには有名出版社の正社員もいた。教職員家庭の出身者も目についた。
ともかく、しばらく「沈滞していた」サークルが「資本論」を読みたいという新入生の加入で盛り上がりを見せ始めたのである。