集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

消費増税は中止が筋でしょう

 朝日新聞9月26日付オピニオンのページに立命館大学教授・松尾匡氏のインタビュー記事が掲載された。大きなタイトルは「問題だらけの経済政策」である。

 なるほど、なるほどと思いながら読み進んだ。読んだと言っても素人に「理解」などできてはいない。なるほどと思った記事を引用してみる。

 「いま消費税を上げるべきではない。むしる景気拡大が不十分なら消費税の減税こそが必要です。代わりに法人税や財産所得を含めた所得税の累進率を上げればい」

 「消費税は景気が良くなると税負担が軽い半面、景気が悪くなると、税負担が重くなって景気の足を引っ張る」  

 パート仕事で生活を維持している後期高齢者にとっては実に”うなずける”指摘である。昨日のアベの説明よりわかりやすいのだ。

 もう一ヵ所引用する。これは朝日新聞が9月2日付で同じ欄に掲載した慶応大学教授・井出英策氏への”反論”とでもいうべき内容である。実は井出教授のインタビュー記事を読みながら疑問に思っていた点があり、切り抜いておいたので”なるほど”を何回か繰り返した。次に紹介しよう。

 「長期不況で、かつては中流だった層が没落している。一部の人ではなく、みんなを対象にする福祉や再分配が必要だというのは正しい。しかし、それを『みんなで支える』というのは疑問ですね」 

 これは民進党の新代表前原氏が打ち出した「All for All」に関連した疑問と言って良いようである。当方は9日に井出インタビューを読んだとき「社会全体で負担を分かち合うための増税の必要性」を強調した点への疑問があった。記事全体を読んでいる中で「社会全体」は個人個人を指し、どこにも産業や企業が出てこないこと。それと増税は「消費税率の引き上げ」を意味する内容であり、累進課税制度などではなくほとんど所得に関係なく負担し、それを再配分すれば良いといった内容のように受け止めたからだった。

 とりわけ9日付井出インタビューを「理解」できたわけではないので、松尾教授の見解を参考にしたわけである。 

 

 

 

「消費税の使い方を変える」に騙されない

 夕方テレビの電源を入れると安倍首相の解散表明演説であった。

 総選挙で信任を得る理由について、「これまで約束してきた消費税の使い方を変更する」ことであると説明した。これからの使い方は「給付型奨学金の増額や園児など子育て費用の無償化」だと説明した。今後は少子高齢化が進んでゆくために人材育成に投資し社会福祉を向上させるといった内容だった。

 待てよ。消費税8%を10%に引き上げることを前提に考えているのだ。パート生活の老人は「消費税の引き上げ自体に反対」なのだ。保育園待機児をゼロにすることや高校・大学の経費負担を最小限にし、給付型奨学金制度を手厚くすること、高齢者対策を充実させることなどは消費税を持ち出さなくとも実現できることである。

 ところがアベは、無駄を除くという意味で「社会保障費の伸びを抑えることは小泉時代から継続していることであり、今後も変わらない」と言ってのけた。あらゆる近い方を洗いなおして「無駄」を除いてゆくというのではない。伸び続けるだろう「社会保障」分野の伸びを抑えるのが無駄対策とは呆れてしまう。

 今度の「解散、総選挙」の理由である「消費税の使い方の変更」は、自民党の党利党略である。本当に教育や社会保障全般に向けようとするなら「消費税率の引き上げ時期」について問えばよいのだ。そうでなく「今の時期に解散」したいのは、自民党の支持率の低迷と大きく言えば政界再編がらみの他党の動きがぐらぐらしているからである。この時期だからこそ「一か八か」の賭けに出たということだ。

 こんなアベの策略に騙されてはいけない。アベの言う「与党過半数」を許してはならない。そのチャンスが「いまでしょう」。

 

販売価額の表示を大きくできないのはなぜですか?

 買い物を精算する際「もっとわかりやすい」方法はないものかといらだつときがある。

 スーパーやコンビニのほとんどが、商品の「本体価格」を大きく表示し、近くに「税込み価格」を小さく表示している。なかには「税込み価格」を表示していない店もある。今は「消費税が8%」であることを知らない人はいないだろう。従って「本体価格」に消費税8%が上乗せされることは十分承知している。ならば店舗は「販売価額」を表示して、レジでの支払額を想定しやすくした方が「やさしさ」だと思うのだがいかがでしょうか。

 近所に果物屋さんがあり、消費税なしで販売している。よく「一皿100円」のバナナを見て買うことがある。隣の豆腐屋さんも消費税なしで営業しているので店頭の張り紙を見て「豆腐1丁」を注文する。それでおしまいである。また、近くのホームセンターは「内税方式」に従って「販売価額」を表示しているので、レジでいくらの支払いになるのかがほぼ見当がつく。

 一方、小さなスーパーでは「本体価格」の表示が大きく、「税込価格」を小さく表示している。この店はどちらかというとまとめ買いを狙っているのかケース売りが多く少しだけ安い感じがする。例えばビールなど1本買いとケース買いとでは単価が違うのだ。だから6本買いになることが心理かもしれない。袋詰めのインスタントラーメンのバラ売りはない。欲しいならパック詰めで買ってくれということだろう。いずれにしても支払いレジで消費税8%が加算されるのは決まっている。

 何とかレジでの「支払い価額」を明示してほしい。財布の中身を見ながら買い物をしたい老人の要望である。

戦争体験を聞く会で懇談

 かねがね企画していた「戦争体験を聞く会」が10日地元で開かれ、主催者の一人として参加した。夏になると、あの悲惨な戦争が終わったことが様々な形で話題になる。そんなことを「地元で話題にすることができればよいなあ~」と周囲に話していると ようやく実現することになった。

 「戦争体験」というと、ざっと80歳を過ぎた方となる。そう言う方は話し好きでもある。話し好きの方に思いきって話してもらうのも良い。そんな思いもあった。

 きょうは、近隣から20人ほどが集まった。お願いした報告者は80代後半の方2人。参加者には93歳の方もおられた。前半は体験発表、後半は質問や意見交流という進行だった。戦争体験を記憶している方は、少年少女時代の勤労動員や疎開生活、爆撃の模様などを話してくれた。男性は「8月15日が入隊日だったので集合場所に行き訓示などを受けているうちに昼頃になった。すると臨時ニュースが放送され戦争が終わったことを知った」という。それが現在まで「生きのびてきたこと」だと話した。

 それを聞いていた若い人から「祖父は8月15日に戦地に向かっていたが、到着直前に戦争が終わったことを知らされて生き延びたという。それでいま私がここに参加できた」と感想を話していた。

 90代の男性は、いろいろな体験を話した後「どんなことがあっても戦争はやってはいけない。生きている限り戦争の準備には反対していく」と決意を話してくれた。また戦後の配給制度との関連で「米穀通帳」が話題になった。90代の男性は「1日2合5勺ですよ。1食分ではないですよ」と強調された。戦時中、戦後の食事事情も関心深い話題であった。

 地元での初めての試みでありどのように進展するかわからないが「戦争体験」を語り継ぐことを継続してゆきたいものである。

「昆虫記」完訳、奥本大三郎氏

 またまた朝日新聞の受け売りです。9月9日付「文化・文芸」欄で紹介されました。

 昆虫研究者でもないフランス文学者の奥本大三郎さん(73歳)が、30年かけて『完訳 ファーブル昆虫記』全10巻20冊(集英社刊)を完成させたという。  

 奥本さんと言えば「昆虫好き」でよく知られている。確か私財を投じて博物館(ファーブル昆虫館)まで開いていると記憶する。本来は文学者なのに、昆虫の世界に魅せられたのだろう。記事では「虫の本能から人間社会を哲学的に考えている点」が「昆虫記」の魅力と話している。また「虫を見ると、人間が見えてくる」とも。昆虫と向き合いながら人間社会の観察まで広げているように見える。

 拍手。そして感謝です。

男女別学高校と養蚕の関係

 気まぐれですが「養蚕」の文字を新聞で見かけたので、メモしました。これは朝日新聞9月5日付33面ニュースQ3を参考にしました。 

 時代とともに公立高校で、男子校とか女子高という「男女別学」が全国でなくなりつつあるらしい。いま「別学」が残っているのは、群馬県、栃木県、埼玉県が全国№3だという。鹿児島県、和歌山県と続くが全国的に見ると「別学」は消えつつあるらしい。

 そこで「別学」が関東地方に多いのかといった疑問が出たのでしょう。その一つに「養蚕」との関連が指摘されているのは興味深いところである。

 幕末から明治期にかけて養蚕業が盛んでわが国産業の近代化と発展に寄与したことは良く知られている。だからこそ群馬県富岡製糸場が近年になって世界遺産に登録された。当時製糸場を支えたの女子労働者であった。製糸産業では女性リーダーの育成は欠かせなかったために「公立女子高校」が誕生したのではないかというわけ。その伝統が地域に根付き関東では「別学」高校が多いのだろうという。

 ちなみにわが国初の公立女子高校は1875年に創設された「宇都宮女子高校」だそうである。同校が「養蚕」と関連しているかはわからない(今後よく調べてみます)。

 

 

8月の速足散歩は26回

 健康維持を目指して続けている”速足散歩”8月は26回(日)を数えた。この回数は「努力賞」と言っていいだろう。

 その要因は、早朝4時半から歩いていること。それと、この時間帯に雨に見舞われることがほとんどなかったことである。雨と言えば、7月中頃に梅雨明けが宣言されたがその後に梅雨のようなじめじめした気候が続いた。8月末には一気に気温が下がるなど気温変動が激しく体温調節がついていけない感じがした。きょう(2日)は、長袖や薄いジャケットを引っ張り出すほどだった。同時に日照時間が極端に少ないのがこの時期の異常ぶりを示している。それによる野菜類の値上がりも日々の話題でもある。

 もう一つ気になうのが「日の出」の時刻が日々遅れていること。8月初めごろは「4・30」と言えば夜明けの明るさがはっきりしていた。それが9月1日になると、夜明けさえ感じないほどの暗さである。9月も「4・30」からの散歩が続くかどうか心配である。さらに次第に気温も下がってくるだろう。

 まあ。無理のない散歩の積み重ねが肝要という気楽さで乗り越えてゆこうと思う。