集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

資本主義の(あした)未来

 朝日新聞3日付社説は興味深い『資本主義の未来』不信をぬぐうためには~を掲載した。

 社説のタイトルである”資本主義”はどこへ向かっているのだろうかと常々考えさせられることが多い。技術的な進歩がありながら格差だけが広がる今の時代に不安を覚えない人はいないだろうと思うのだが。

 社説で、いまから100年前の1917年にロシア革命社会主義政権が誕生したことを改めて認識した。様々な問題を含みながらソ連は74年間継続したが1991年に崩壊した。あれから25年が経過する。同時に資本主義の勝利とか宣伝されたと思う。社説はレーガンサッチャーによる小さな政府を経て、リーマンショックの暴発などを辿る。勝利した資本主義の避けがたい落とし穴と感じざるを得ない。

 資本主義に付きまとう「利益至上主義」をはじめ、貿易の拡大、技術の進歩、国境を越えた金融投資、生産体制の拡充、情報拡散などが進み伴って環境への悪影響も拡散されていることが問題にされている。ここには後進地域の低賃金依存(利用)や先進地域での労働条件の悪化などが問題となっている。これらは貧富の格差拡大とか地域間格差の拡大として問題となっている。

 何とかしなくてはと思う一方で、大資本家による株主第一主義が公認されているようでは飢餓や貧困、格差の是正など進まないだろう。資本が国境を超えると同様に地球各地での生活向上が果たせなければ、本当の意味での人間の進歩とは言えないのではなかろうか。

 どうも「経済成長」の本質にも問題の焦点を当ててほしいと思う。国民総生産とか景気を押し上げるためには「個人消費」の力強さが必要とか言われる。一言でいうと「個人消費」とは「もっと物を買え」ということでしょうから、いわゆる「裕福な人」に浪費を進めても無駄というもの、実際に「貧困生活」にあえいでいる人々を最小限に食い止めることが重要なはずである。単に「成長」や「回復」、「拡大」では「資本の思うつぼ」ではないだろうか。

 社説は、国境を超える「税制の活用」に触れるが、何か遠慮がちのような気がする。あの”パナマ文書”などこれからの資本主義を考える上での大事な問題点だと思う。

 資本主義の未来というより、息苦しさを感じるいまをどのように変えていくかではなかろうか。先々の話でなく「明日や来月の生き方を見定めよう」そんな気持ちである。

 

地域の昔を思う1日でした

 正月2日は予定通り初もうでに出かけた。神社は地元では有名なところで大晦日から元旦にかけてはものすごく混雑する。そのために2日早めにお参りすることにしている。神社での流儀はいい加減そのものだから神様は願い事に応えてくれるか定かではない。それでも”家内安全”とか”無病息災”をお願いした。そんな1年をスタートした。

 ほかに午前は、今年も続けようと考えている速足散歩に取り組み、70分間いつものコースを歩いた。しばらく休んでいたためだろうか時間は少しだけオーバーしていた。

 午後は、知らない街を尋ねるサイクリングに出かけた。すぐ近くなのだがこれまで行ったことのない街に入ると、豪華な旧家が点在する丘をぐるりと回ることができた。丘のすがたと旧家を思い浮かべながらこの辺りの昔の生活を探りたい気持ちが湧いてきた。本気で取り組むと「発見新た」とびっくりすることが多いだろう。

 開発された地域に住むだけでなく、地域のながーい歴史を知ることも大事ではないかと考えた1日であった。

新年のごあいさつ

 新年おめでとうございます

 みなさまのご健勝とご多幸を祈念申し上げます

 私は、間もなく後期高齢者の仲間に加わります。また年金生活15周年、パート生活15年あまりという記念したいことが重なります。これからも”健康第1”を基本に背伸びをしない人生の道を歩みます。 

 そんな気持ちをもって新年を迎えました。

 初詣は2日を計画していましたので、午前9時から約150分あまり出かけたことのない街を散歩しました。いつもの速足散歩ではありませんが、健康のための思いを込めて歩き始めました。なぜか快晴で風もなく実に穏やかな1日でした。午後は戸外で鑑賞しているサボテンの器を替えるなど手入れをしました。

 そんな1日があっという間に過ぎ去り、賀状の整理で元旦が終わりです。

 健康第一で一年を乗り切りましょう。

師走の速足散歩は1日のみ

 健康のためにとしばらく続けてきた1時間ほどの速足散歩、年末の12月は1日のみに終わってしまった。というのは、関東地方を白く染めた雪の後の冷え込みに風邪を引き寄せてしまったからである。幸い風邪そのものは自力で回復できたが、冬の寒さに気分はふさぎ込んでしまった。パート仕事を休むこともなく続けたが、家に戻ると休養が続いてしまった。この間ウエイトも増したみたいで気になる事態である。

 2016年の師走がこの状態ではあまり良い1年であったとはいえないかもしれない。ただ、同級会や同期会、同窓会などいろいろなことが開かれ顔を出した席では想い出話を楽しんだ。この1年医者に世話になることもなく過ごせたことは健康的な1年であったといえるだろう。

 まずは”大過なく”過ごせた1年に心から感謝して締めくくりにしたい。

 どなた様も良い新年をお迎えください。感謝」。

考えられる対策が整えば何でもできるのか?

 前回の「カジノ解禁法」に触れたブログで「依存症」対策が整ったとしても賭博行為を認めることはできない~と書いた。

 同様な事例をいくつか挙げてみる。

 先日沖縄で発生したオスプレイの墜落事故である。これは飛行機でもなければヘリコプターでもないらしい。新種の「空中移動機」らしい。今回は”墜落事故”かどうかもわからないという。沖縄で発生した事故なのに、わが国で事故原因を点検することもできない。実に不可思議なことである。それらは日米安全保障条約があるからだろうと推測する。

 飛行機やヘリコプターでも安全対策は”万全”であっても甚大な事故は避けられない。ましてや「新種の空中移動機」であるだけにヘリコプターほどに研究開発が尽くされたわけではない。現時点でどのように「安全対策は万全」と言われても、他の国でましてや人々の生活する地域で飛ばすことなど許されることではない。オスプレイは直ちに飛行を中止しアメリカに持ち帰ってほしい。わが国での事故なのに原因究明さえできない状態を作っている日米安保を解消することを念頭に置く姿勢が求められているように思う。

 5年前に発生した大地震で福島の原子力発電所が爆発した。放射能汚染で今でも自宅、地域を追われた人々が数多くいる。痛ましい「いじめ事故」さえ報道される今である。長い歴史をへて安全対策が打ち出されていたはずであるが大地震でついに原爆以上に放射能をまき散らしてしまった。発電所としての対策が万全であったとしても「放射能を抑え込む」対策など全く未知の世界ではないか。チェルノブイリでシェルター建設が伝えられるが万全ではないし、原爆被害は世代を超えて引き継がれているではありませんか。対策あっても放射能を伴う電気などきっぱり断念すべきである。

 ことしになって話題が沸騰している問題に”豊洲市場移転”がある。東京都があの土地を購入したころから様々な問題があったようである。最近も盛土のない地下空間のほかに汚染を遮断する土木シートをせずに改良工事が行われたことが伝えられている。食の安全が「第1」と叫ばれてきたのに、専門家と言われる人たちまで「食の安全第1」を二の次にしてしまい「これで十分」と、タカをくくってしまったのだろう。その結果が豊洲移転の延期になってしまった。

  豊洲移転延期で発生する各種の補償はいずれ都民の税負担となるだろう。少なくとも都政の隅々に影響を及ぼすだろう。同じことは原発事故にも通じる。原発放射能にかかわる補償についてみると、電力会社という私企業の瑕疵にも拘わらず人々の生活に直結する電気料金に上乗せする。さらに国の財政負担ということは1人1人の税金負担ということになる。東電利用者だけの問題でもないだろう。

 つまり、対策が万全だからといって認めるわけにはいかない、いくつかの事例が目の前で発生していることを認識すべきである。

なんたってカジノ解禁は許せない

 

 庶民1人1人が選んだ「コッカイギイン」の皆さんのでたらめさは子供たちに説明がつかないひどさだ。いろいろあるが代表は「統合型リゾート整備推進法」(カジノ解禁法が解りやすい)である。

 この法律を成立させるために、与党ほかの「コッカイギイン」らは、終業ベルが鳴るだろう間際に強引にも時間延長を決めた。それでも時間が足りないからと言って再度勝手に時計の長針を都合のよい位置に動かしてしまった。マスコミでは多数決による「カイキノエンチョウ」として当然のことのように伝えられている。

 ポイントは、わが国は長い歴史の中で「賭けごと」を禁止してきたのだが、「パチンコ」と同じような「賭博」行為ができることを「カイキエンチョウ」で決めてしまったことにある。それも多数与党らの「ギイン」によってである。

 偉いといわれる人や識者がなんと言おうが「賭博」は、敗者の財布から掛け金が勝者の財布に移っただけのこと。もちろん主催者の取り分もある。パチンコで半数以上の人がいわゆる「儲け」たなら、店は成り立たないだろう。敗者の懐によりかかった営業が法律で守られている現実の社会の異常さを感じなくてはならない。それを活性化とか成長戦略というのにあきれてしまう。この法律が施行された場合間違いなく誰かが言ったように「不幸な人が増える」ことになる。この法律を喜んでいる「ギイン」に将来を託すことはできない。

 統合型リゾートと言えば響きが良いだけの話し。賭博場であるカジノをリゾートに呼び込まないとリゾート施設自体運営できない。だから狙いは新たな「民間賭博場」を法律で保護しようというものである。提案者は、すぐ賭博場ができるわけではないと言い訳しているらしい。それは「すぐ」ではないにしても、この法律で新たな「民間賭博場」を容認したことは間違いないのだ。2度も会期を延長して成立させた「カジノ解禁法」に賛同した議員名を大書して歴史的大罪者として伝えなくてはならないだろう。

 いわゆる「依存症」対策が、この法律の最大の要のような見方もある。世の中の将来を考えるとき「敗者」や「不幸者」が増えること、または「病人」や「依存症患者」が増えること願う人などいるはずがない。。一部の人は「だから対策を」と強弁するだろうけど「賭博」を保護した以上「依存症」を皆無にすることなど無理である。なかには日本人の入場を禁止すると主張する人もいる。それでは外国人が不幸になるのは許されるのかと聞きましょう。まともな回答などできないだろう。賭博行為を認めないことが「依存症」の数を増やさない最大の決め手である。

 むしろ「コッカイギイン」たちは、現在でさえ「依存症」に悩んでいる人や家族を救うための法律の整備に傾注すべきではないだろうか。それが選ばれた人たちの仕事だろうと思う。

 

 

 

 

加齢の重さを再認識しました

 先の日曜日は寒い一日でした。そんな中暗いうちから新聞配達を手伝い、速足散歩を続けました。出かける前から「薄着かな」と懸念しながらも「身体を動かすのだから」と言い聞かせるように気力で出かけました。その後も畑仕事などを重ねたが、どうも気分がすぐれず「ゆっくりと休養」することにした。月曜日仕事を休むことはできずやはり「気力」で仕事場に向かった。

 以来畑仕事も休んで「ゆっくり休養」を重ねているところである。ついに金曜日に至るまで午後の「ゆっくり休憩」が続いてしまった。

 考えてみると、寒さのせいであるのだが「加齢」が何よりも大きいと再認識した。もう1年ほど前のことだが、片方の耳から音が入ってこなくなったことがある。自転車に乗ることが多い生活から、安全性を考えて見えないところでの車の音などに気を付けながら走っていたのが急に音が遮断されると不安が増してしまった。耳鼻科に見てもらうと「鼓膜が見えないほどヤニがたまっていた」らしい。同時に「加齢」の傾向もあるということであった。確かに家族も気にするほど「難聴」の様子があるらしい。本人は日常生活に心配を感じてないので「まだ大丈夫だ」と言い返している。

 視力、頭髪、加齢臭、体力、聴力などそれなりに「加齢」を感じてきたが、今回の「風邪気味」ではほとほと参ってしまった。やはり「後期高齢者」の呼び方は医学的で現実的な表現かもしれないと再認識した次第である。気を付けましょう。