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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

貧困と格闘しながら考えること

 最近テレビ番組を巡って「貧困たたき」が起こっているそうだ。それに元官僚で国会議員も非難のコメントを公開しているというからあきれ果ててしまう。

 当方は、発端となったテレビ番組を観ていないのでその内容についてコメントすることはできない。新聞報道で「貧困たたき」を知る限り、”もう少し現実をよく見つめてほしい”と思う。

 「貧困」はその時代によって異なるし近年では「絶対的貧困」とは別に「相対的貧困」との考え方も定着しているわけだから、貧困状態の現実も幅広く考えないといけないと思う。さらに「貧困と格差」となると社会問題として様々な角度から考えられている。

 相対的貧困の割合はわが国の政府も公表している。良く新聞などで見る「子供の相対的貧困率は16・3%」(2012)で、経済協力開発機構34か国の平均を大きく上回るという。それだけわが国の経済力からすると”貧困状態”が放置されているということになる。それを改善するのは政治の仕事であり「格差」の問題と合わせると社会構造に問題があるのだろうと考えざるを得ない。

 生まれ育った地域とその時代を考えると「集団就職」が最善の選択であった。その時代背景の根っこには「貧困」そのものが動かしがたい現実であった。その現実から「逃れる」のでなく「脱出」を求めて中卒の少年少女らが長い間悩み・考えてきた。祖父母、両親、兄弟姉妹、そして子供たちや孫世代に至るまで「貧困」生活から「脱出」できたか真剣に考えてみると、当方の答えは「ノー」である。今もって貧困と格闘しているのが日常である。

 さらに「下流老人」とか「老老介護」といった現実を前にすると、その打開策は「憲法25条」の実現を果たすための”社会構造の改革”でしかないのだろうと思う。