集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

「分配」を適正に実現するためにどうするか

  昼休みに毎日新聞を読んだ。オピニオンの面に”「成長と分配」衆院選争点”が乗っていたので興味深く読んだ。何しろ大学教授の話ですから言葉自体理解できるわけもないが部分的になるほどとうなずくこともありました。

 論点は「成長と分配」ということ。大久保教授は「分配=ばらまき」と言うが、少し狭すぎる考えではないかと感じました。社会の現実を見ると「分配」こそが強く求められていることは否定しがたいことである。一方「カネですべてが買える」新自由主義がいまの社会だが”地方ではカネがあっても買えないものがある”との指摘。従って「カネをばらまく」分配ではなく「協働・協同」の仕組みを創造することが求められるといった論点ようである。

 成長は、GDPで測られる。大久保教授は「GDP至上主義を続ければ」「ギスギスした社会になりかねない」と指摘、「幸福度や生活満足度」を目標としてはどうかと提言される。なるほどとうなずける内容でした。

  湯沢教授は「ジェンダー問題密接に関連」とのタイトルで提言していました。最近、誰でもが理解しているかのように使われている「ジェンダー」の理解が定かでない老人ですが「母子世帯の生活困窮」といわれると、「成長と分配」に密接に関連してくるだろうと思いました。さらに「貧困・格差」の現実を見ると何よりも「非正規」という働き方を押し広げてきた”働かせ方”が大問題だと思うのですがいかがでしょうか。