集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

「国民のための政治」の本当の意味は?

 街を歩いていると街宣車が来ました。クルマの上には「政治は国民のために」と大書してあります。よく見ると与党の街宣車です。なかなか意味シンな言葉ですね。だって「~あるべきだ」とつなげると、実は「そうなっていないから」ということ。または「~ある」と断言すると、実は「そのことを実現します」ということになるでしょう。

 集団就職を選ばなければならなかった「当事者」として思うには、「国民のための政治を取り戻す」とか「国民が主役の政治を実現する」との、表題で政策を訴えてほしいものです。

 そうだと思いますよ。コロナに感染した方が自宅療養しているうちに様態が急変して亡くなられた。妊娠中のお母さんが病院に運ばれなかった~といった事例を聞くと、とても「政治は国民のために」行われていなかったことを照明している。非正規従業員の休職や雇い止めなど考えても同じようなこと。そもそも「非正規」の身分をどんどん増やしてきたのは「政治」が「国民」のために動いてこなかったためだと言えるでしょう。

 いま「集団就職世代」は、当時の境遇と重ね合わせながらこんどの選挙に臨みます。