集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

沖縄を返せ~デニー知事誕生に乾杯

 話題の沖縄であるが、沖縄に旅したこともなければ、直接的な利害関係などない当方であるが、9月30日投開票された沖縄知事選には強い関心をもっていた。ともかくデニー知事の誕生に乾杯しようではありませんか。 

 もう50年ほど前のことであるが、沖縄返還闘争といっただろうか「沖縄を返せ」の歌を歌いながらデモ行進に参加したことを想い出す。元々日本の領土を終戦により沖縄と奄美を米国アメリカが占領支配した。早く占領支配を終わらせて「真の独立国」になりたい、そんな気持ちが強かったと思う。

 沖縄を返せの運動に加わることにより、米軍の無謀さ、基地の多さとその役割、沖縄県民の怒りなどを学ぶことができた。当方は「学べば、学ぶほど」怒りが増していった。その怒りはいま現在でも変わりない。むしろ米軍の飛行機事故などを知るたびに怒りは強くなる。米国属国ではない、独立国ではないか。そんな気持ちは薄らいでいない。

 だから沖縄に永久的な新基地など作らせてはいけない。米軍基地は縮小撤退するのが大事である。沖縄の人たちだって基地に頼らない経済振興を願っているでしょう。基地に頼るより沖縄の良さを訴える観光や産業発展が将来につながると期待し、希望しているのは明らかである。

 しかもイデオロギーではなくアイデンティティー」を合言葉にしているオール沖縄の本当の姿を根付かせるバトンタッチだと思うのである。

 デニー知事誕生にまずは乾杯しましょう。

「税負担の分かち合い」と「消費増税」

 1年後には消費税率が10%に引き上げられる。これは当方にとって死活問題であり、実施見送りどころかきっぱり断念してほしいと書いてきた。

 きょうの朝日新聞では埼玉大学の准教授が「私たち自身が負担を分かち合う」ことを強調しながら「消費税も当然に重要な財源」と、消費増税をほぼ容認推進していると受け止めました。これはオピニオン面掲載の「税の負担分かち合う道」で主張されているもの。

 冒頭で来年秋の消費増税を持ち出しているので、そのことが論点のスタートのように見える。そのうえで、素人には難しい「デフレ脱却」「異次元緩和」などを解説しながら「いまや泥沼にはまった感」があるという。一方でアベノミクスについて「お金を増やして景気・雇用を改善する」点について成功したと評価。

 こうした現実についてさまざまな論議があることを紹介しながら、「増税の否定は、将来の人々に不確実なリスクを負わせる」ために「消費増税」は「重要財源」とおっしゃる。もちろん「取得・資産課税の公平性の向上を伴う増税は必須」であることにも触れている。 

 つまりは、税の分かち合いに従って「10%増税を受け入れなさい、さもなくば若い世代に過分の負担を押し付けることになると説得しているようである。本当にそうなんだろうか。

 教授も「課税の公平性」に触れているように、とりわけ「消費税」の負担割合は貧困・生活困窮層にとっては重い負担である。そのことをもっともっと重視しながら「分かち合いの公平性」に踏み込んでほしし、10%消費税実施のマイナス面に切り込んでほしいと感じた。

 明日たの生活に苦悩する老人いまであります。

野草の根「トコロ」を食べた想い出

 「食品ロス」についてメモしたとき、子どものころ「トコロ」を食べていたことを想い出した。トコロというのは、山の草地に自然に生えており、その根っこを掘り起こしてゆでて食べていた。根っこは黄色でひげをいっぱいつけていた。少し苦みがあったが腹が減っているときなど家族でおやつのように食べたのである。

 この「トコロ」は本当は何だったろうか。調べてみると「オニドコロ」とか「ヒメドコロ」があり、一般に「トコロ」と呼ばれているらしい。その「オニドコロ」は食べられないとあり「ヒメドコロ」は食べられるとある。但し「オニドコロ」も薬として用いられたらしいし、少々なら食べられるという説もある。

 どうも、子どものころにおやつのように食べたのは「オニドコロ」ではなかったかと思うのだが違うだろうか。苦みがあったので黄な粉をつけてたべたものである。当時の家族の顔が浮かび上がる懐かしい想い出である。 

 ほかに自然の食草といえば、あざみ、うるい、こごみ、ぜんまい、よもぎ、みつば、せり、にら、ひる、みず、しどけ、ゆりなどなどいっぱいあった。畑の野菜と合わせれば自然の野菜類に困ることはなかった。ある意味で自給自足の生活であった。

 

「食品ロス」身近なことから始めましょう

 いわゆる「食品ロス」がマスコミで話題のようである。貧困が身についている老人から見ると「どうしてなんだろう」との感想が強い。とはいえ様々な事例を知るたびに「生きるためにもっと身を引き締めてほしい」と思うこともある。 

 マスコミは、我が家の食卓のことから地球規模での飢餓状態までを取り上げながら「食品ロス」状態の改善・脱出を提言している。至極当然と思われる。その実現に期待したいものである。

 まあ、時代の進化とでもいうでしょうか「喰うものにも困る貧乏生活」を経験したことのない世代が増えてきたために「食べ物」を大事にする習わしが薄れてきた。それが大量消費とともに「残りものは捨てても良い」となってしまった。商売の仕組みもそれを当たり前とみなすようになった。 

 まず、家庭では「倹約」を旨として使い切ること。外食時は「食べ残さないこと」。万が一残った場合は「持ち帰る」ことなどを習慣とするよう心がけること。

 現役時代のころ、企業の接待宴会に同席したことがある。主催者が「食べ残しは容器に詰めて持ち帰ってください」と、食べ残しの大半を持ち帰った記憶がある。ホテルのパーティーなどでも「持ち帰り」を推奨してはどうでしょうか。おそらく「そんなことはできない」と言われると思うが、「どうしてできないのか」をお考えいただきたい。

 有名な料理店が「使いまわし」で批判を浴びたが、「残ったもの」の使い方または利用方法の仕組みをつくることも大事だと思う。レストランや食堂での「残り物」またはコンビニでの「在庫処分」、さらには大型スーパーなどの「在庫処分」などで残り物利用の仕組みを作り上げ、活用することが求められていると感じます。

 当方は近くの食品スーパーで「わけあり」果物を買うことがある。我が家で食する分には何の問題もない。ニュースで台風被害が伝えられると大量に捨てられるだろう果物や野菜が映し出される。可能な限り「わけアリ」製品として流通してはと思う。それを必要とする人やグループもあると思う。求められているのは「仕組みを作り定着すること」と思う。 

 まずは、身の回りからできることを「提案」し、「持ち帰り」だって普通のことなんだという「風習」を育てることだと思います。そうしたことをマスコミは取り上げてほしいものである。

 最近のプラシチックゴミのようにち粘り強く取り組んでみてはいかがでしょうか。

 

消費税~来年は選挙があるのだ

 いま悲鳴を上げている一つに来年10月からの消費税10%がある。

 この税率引き上げは、来年春には「再々延期」か「実施」かが決まるらしい。すでに予算編成時期だからハラを固めつつあるだろう。

 俺にとっては「死活問題」である。再々延期どころかきっぱりと「断念」してほしいのだ

 大マスコミを除くと夕刊紙系統やネットのいくつかは、10%引き上げの賛否がほぼ拮抗していると伝えている。50代以上は「理解」を示すが、それ以下の層では「違和感」が多いらしい。給料が上がっていないのに税金が高いとの不満が根強いようだという。なかには、これまでの消費税率引き上げ後の選挙で与党が大敗していることを挙げ乍ら、来年前半の統一地方選参院選挙で自民与党は大敗すると指摘する記事もある。それを見据えて竹下派は「支持を二分」したとも指摘している。

 そうなんだ。来年は選挙がある。ここで消費税率引き上げの理不尽さをアピールし、来年の選挙では自民与党に大打撃を与えよう。アベを退陣させようではありませんか。そのためにも、クルマと住宅の同時減税のまやかしを広げ、増税後の景気冷え込みと生活の厳しさをしっかりとメモしていくことにしよう。

朝鮮半島の「統一と平和」の話し合いに拍手を

 朝鮮半島南北の指導者が会談し「戦争状態」の停止に向けて話し合ったそうである。しかも双方が歩み寄りながら半島の核抜き平和に向けて努力することで合意したという。当方は、南北会談の結果に直接的に影響を受けることはないが、こうした努力に対し拍手を惜しまない。

 新聞報道によると、政府は南北の「融和先行」を懸念しているらしい。また「戦争終結宣言」についても「慎重であれ」と強調しているらしい。いろいろ問題はあるだろうが、同じ韓民族が「対立の時代」を終えようと話し合っていることに対して、あれこれあげつらって”気に入らない”とケチをつけている感じは見苦しさを感じる。戦争状態を終わらせて平和の半島を築いて行こうと話し合っているのだから、その行為を歓迎するのが大人らしい態度ではなかろうか。

 もちろん、わが国は「拉致」の問題があるだけに、複雑であることは間違いない。とはいえ「平和の半島」への歩み寄りにケチを挟むのはよくないと思う。韓国内にも国民生活が苦しいのに「北へ手を差し述べる」のはおかしいとの批判もあるそうだ。そうした批判を超えて「半島の平和」を実現してほしい。

 米国も、北の歩み寄りに対して「こっちの要望に応えることが先決だ」と我を張らずに「どうすれば戦争終結になるか」、「どうすれば核抜き平和を実現」できるかを”対話”路線で見出してほしいものである。

 

消費税10%は断念すべきだ

 気がつくのが遅かったが、消費税が8%から10%へ引き上げられるのは来年10月である。政府は来年度予算を練っているという。

 しかし、政府は来年10月からの「消費税10%」実施について明言を避けているそうだ。それは何よりも「消費税10%後の景気の落ち込み」ということは誰も否定しない事実である。だからこそ「再再延期」とか景気刺激策としての「クルマ減税」とか「住宅減税」が話題になるのである。

 消費税を引き上げると、一般家庭で毎月3000~4000円の負担増になるとの試算もある。これでは「節約」を強制すること明らかであり、庶民を苦しめるだけである。赤字経営でも税負担を強いられる中小企業を廃業・倒産に追い込むこともほぼ明らかである。その一方で「景気浮揚」のためとクルマ会社や不動産会社におまけをつけるのはあまりにも理不尽である。

 俺の場合、厚生年金基金が解散するために来月を持って年金が打ち切られる。来年秋ごろになると健康状態からパート仕事を継続できるかどうかの判断に迫られる。ということは「消費税増税」と同時に「収入」が大幅に減り、死活問題に直面する。だから「死ぬまで働く」ことがこれからの生き方である。それまで達者でいられるかが問題だが。

 きっぱりと「消費増税」を断念し、景気の反動落ち込みに悩むことから解放されることを選ぶべきだ。   なんまいだ。なんまいだ。