集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

朝日の「平均値」の勝手な読み方

 朝日新聞3日付『平均値を疑え』を自分流に読みました。

 一つは、平均値と中央値の推移について触れている点。専門家は「10~13年の伸びは平均値がプラスなのに中央値はマイナスで、全世帯の総収入は伸びたけれど、ちょうど真ん中の世帯の収入はむしろ減った」と説明する。富裕層以外の所得が減ったことを意味するというわけだ。なるほど「平均値」と「中央値」の推移からこんなことが読み取れるのかと納得した次第です。

 二つ目は、政府の取り組みに関する意見である。専門家は、低所得(または所得減)が長く続き高齢になっても貯蓄がほとんどない世帯がかなり多いことを直視すべきと指摘する。そのうえで「老後の生活水準の格差が広がりすぎることへの対策は欠かせない」との意見。納得である。

 世帯貯蓄の中央値には「貯蓄ゼロ」は含まれていないようだが、老後の生活水準格差の現実を直視するなら”ごく当たり前”の指摘ではないだろうか。世間では「自己責任」の風潮が見られるが、その風潮を押しとどめて社会保障の役割を強調するのが為政者の仕事だと思う。

 新聞の役割について考えると「世帯貯蓄」とか「所得格差」が統計の解説として扱われることが多いようである。それはよしとして、「1%の富裕層」資産と「99%の人々」の所得と同じといった表現が同感を覚えるように、その現実をClearにすることが求められ期待されているのだと思う。いかがだろうか。