集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

健康診断の結果を聞きました

 年末に高齢者に適用される健康診断・がん検診を受けた。きのう担当医師が直接説明するというので診療所を訪ねた。

 すでに書面で”所見無し”の通知を得ていたので診断結果に不安はなかったが、医師の所見で何か加えられるのではと少しばかり緊張した。初めに問診で看護師が血圧を測ってくれた。少し高めだという。その後医師の説明だが、がん検診の結果については触れることがなく「血圧が高いようだから薬を出しておきましょうかという。当方は薬はあまり好きじゃない」というと「それじゃ経過を見ましょうか。3か月ほどしたらまた来てください」。結局そんなやり取りで医師説明は終わった。

 しばらく待っていると名前を呼ばれたので受付に行ってみると、看護師から「こんどは4月に来てください」といわれ、診察料130円を支払い、診断結果説明は無事に終了しました。

 がんについては「異常なし」だったが血圧は「高い」ということで、これからは血圧正常化策が日常生活の課題となる。まあ「ひと安心」というか「重い課題」というか悩ましい半日でありました。

民進党の会派提案は白紙で終わりですか

 民進党が提案していた「統一会派」づくりが17日には白紙に戻され一段落したように見える。とはいえ「民進党」はこれからどうなるだろうかと他人事ながら目が離せない。同時にこの人たちの”政治や”体質にあきれ果ててしまう。

 発端は、昨年9月に「希望の党」が発足する。9月28日には前原が、「希望の党」に合流する方針を提案すると両院議員総会でほとんど議論もなく了承した。つまりこの議員総会で決めたことがゴタゴタの始まりと見える。もちろんその前に代表選前後から「希望の党」結成に向けた離党が続いていたとの見方もあろう。

 もう少しさかのぼれば、2015年の9月に安保法制(戦争法)が強行された時点にある。あの時点で「安保法制」に民進党議員は何を考え何を志向していたのかがいま問われているのである。そのことがバッチ欲しさに押し流されて右往左往しているように見えてならない。もう一度「安保法制(戦争法)」への態度を明確にすることを民進党籍議員(地方議員を含めて)に問いたい。 

 それに「野党共闘」が絡んでくるから、市民、選挙民の意識をきっちりと受け止められない”バッチ欲しさ”だけの議員先生は不要と言わざるを得ない。市民の成長を真摯に受け止めてほしいものである。このこととの関連で「民進党籍無所属の会」というのも甚だわかりにくい存在である。まさに「会派」であるから否定はできないが「党籍」というなら政党の綱領や規約に従うべきと思うのだが、そうした一般的ルールは先生方には通用しないのだろう。政治資金を受け取るためには「党籍」が必要ということだろうか。

 また民進党の地方議員たちは何を考えているのだろうか。マスコミは民進党籍の地方議員の再生についても丁寧に伝えてほしいものである。

 情けなや。ほんとに情けない。この損失は市民にかかってくるのだ。

定休日復活に大賛成

 年中無休が大はやりだが、最近「定休日」が話題のようである。1月17日付の朝日新聞「経済気象台」というコラムに『「定休日」の復活を』が掲載された。スーパーや飲食業で定休日が設けられたら困る人が出るかもしれないが、消費者にも理解を促しながら定休日実現に向けて対策を急いでほしいと思う。大賛成である。

 コラムでは、人手不足対策としての「定休日」復活を強調しておられるように読みました。ほかに「正月らしい静けさが少しでも戻ることも歓迎したい」とも言われる。そのうえで「復活もそう遠くないのでは」と期待を寄せる。

 コラム氏の期待通りに事は運ぶかどうか分からないが「人手不足」解消や「静けさ」を取り戻すために各業界を挙げて取り組んでほしいものである。

 床屋さんや美容店などは毎週定休日を設けている。昔からの商店街にも定休日を実施している店がある。金融機関は土曜・日曜・祝日が休みである。それでお客さんから苦情が殺到したという話は聞いたことがない。きっと「あの店は今日はお休みだ」と納得していると思う。

 昔は百貨店だって定休日があった。定休日の曜日を間違えてわざわざ別のデパートで買い物をしたことを想い出す。24時間営業とか年中無休だけが商売ではないはずである。小売業の営業スタイルを再構築してもらいたい。お客は神様だが単なる迎合では安心な将来社会を展望することはできないだろう。人にも店にも休養が必要だと思いませんか。

 ぜひ「定休日」の実現を望みます。

「もったいない」は「ケチ」ではない

 「もったいない」は、モノの本来あるべき姿が無くなるのを惜しみ嘆く気持ちだそうです。現代では、物の価値を十分に生かし切れず無駄にしている状態や行為を戒める意味で使っているようです。〇〇を捨てるのはもったいないもったいないから工夫しながら使いましょう。

 そのように考えると、倹約とか節約に通じるような気がします。といって「ケチ」とは違うことが理解できます。つまり「ケチ」は「必要以上にモノを惜しがること」とされ”必要以上”にこだわることが含まれているようです。なかには、生活を犠牲にしてまで金銭や財産を溜め込む人を”ケチな人”と呼ぶことがある。このように「ケチ」にはマイナスの印象、悪い印象が付きまとっているようです。「もったいない」の方は、惜しみながら大事に使いましょうというように良い印象を持ち合わせているように思います。

 「ケチケチしないでど~とやろう」となると派手さが伴い、大量の無駄が出て来そうです。宴会料理が残ったとき「もったいないから持ち帰りましょう」となると「ケチ」とは言わず「残り物だけど大事に扱う人」の印象を持たれそうです。同時にそうした行為や仕種は自然環境の保護にも通じることになります。豊かな自然の姿を大切にしながら後世に引き継いでいきましょうといった気持に通じるからでしょう。

 ”もったいない”を強調し推進する人は自然環境保護者でもあると言えるようですね。

 

「もったいない」を生活リズムに取り入れたい

 捨てるなんて”もったいない”とか”もったいない”から食べなさいなどとよく言われて育った。これは「無駄にしてはいけない」とか「もっと大事に使いなさい」といった伝統的な生活様式と一体だったと思う。

 いつの間にか「大量生産・大量消費」とか「短サイクル」「モデルチェンジ」などがもてはやされて、まだ使えるものまでが平気で捨てられるスタイルが定着してしまった。そうしたことが地球環境問題とも深く関わっていることがわかり少しは「リサイクル」などの形で揺り戻しがあったような感がする。しかし話題の「食品ロス」に見られるように「もったいない」はいま現在でも大きな課題である。

 この「もったいない」はかつてわが国で大きく取り上げられたことがある。ケニア環境保護活動家でノーベル平和賞受賞者、国会議員でもあるワンガリ・マータイ女史(1940~2011)が2005年に来日し「もったいない」との言葉を知り、同感したうえで”もったいない”運動を世界に広げようと訴え、自ら運動を推進した。しばらくの間マスコミなどでも大いに注目されたが、定着することなく、近年では「おもてなし」のはやり言葉に押されてか話題と関心が薄いのが残念である。

 格差と貧困や「食品ロス」などの問題を考えながら、改めて「もったいない」を自身の生活の中にきっちりと位置づけた日々を送ろうと思う。

カレンダー配布人

 きょうはパート仕事の「仕事始め」の日でした。近年当方の役割に加わったのが「カレンダー配布」。いくつかの詰め所にカレンダーを掲げるため、その調達が欠かせない。なんとなくその役割を果たしていることになる。

 このカレンダーは、5年ほど前までパートで働いていた職場で調達できる。つまり取引先が届けるカレンダーや手帳が年末になると多数廃棄される。それは”もったいない”と思い、欲しい人に届けたのが始まりだった。もったいないが意外と好評で今に続いている。

 ことしは20本ほどを調達し、パート仲間や仕事場の詰め所に行き渡るように配慮した。心ある人はわざわざ礼を伝えてくれる人もいた。これには感謝だ。

 だがカレンダー配布はボチボチおしまいかとも考えている。調達先とのコネクションが絶えかねないからである。「同じ釜の飯」というか仲間意識はいつまでも大事にしたいものである。

 カレンダーに感謝である。

きょうの この1点 長崎の少年

 こんにちは。新聞を広げていると、どこかで見かけたような写真が掲載されていました。1月3日との関係を詮索していると、なんとローマ法王が関係していることがわかりました。      

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 朝日新聞ほかによると、核兵器廃絶を訴えるローマ法王がこの写真をカードとして配布するように指示したそうである。

 写真は、1945年長崎で米国人が撮影したもので、「焼き場に立つ少年」として様々な機会に公表されてきました。亡くなった弟を背負い火葬の順番を待っている少年の姿だそうです(私は初めて知りました)。 

 改めて、戦争と核兵器のむごさ、悲惨さを思い知らされました。宗教を乗り越えて核兵器廃絶に努力したいものです。