集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

河津桜開花

 河津桜が咲きました。  

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 私がボランティアで清掃管理している公園の河津桜が先日開花しました。

 この桜はなかなかの人気者で、3年ほど前は婚礼衣装のカップルが記念撮影するほどでした。少しづつ気温が上がると花の数も勢いを増してくるでしょうから、また様々な記念撮影の背景になるかもしれません。期待しています。

 咲きだしたのは、「雨水」の2月19日(月)でした。

 この「雨水」(うすい)というのは,24節気のひとつで「立春」の次の時節で、そのあとは「啓蟄」(けいちつ)となります。「雨水」は空から降るのが雪から雨に変わり、気温も緩むために雪解けが進むころといった意味らしい。昔から農耕を始める目安とされています。とは言うものの実際の気候はきびしい寒さが緩み始めるころで大雪警報さえ出されます。昔からの気候に名付けられた呼び方ですがなんとなく”季節感”があると思いませんか。

 さて来年は、いつごろ「河津桜」が開花するだろうか。記録も楽しみにしたいものである。

      

 

 

 

「死ぬまで働く」は最良の人生

 高齢者の貧困実態は様々な形で取り上げられている。最近『続・下流老人』(藤田孝典著、朝日新聞出版)を読んだ。この本は、高齢者が「死ぬまで働かざるを得ない」現実を告発し、それを解消するため様々な政策を提言している。高齢者の現実をまとめた著作として「あっぱれ」と申し上げたい。

 下流老人の仲間として、「死ぬまで働く」ことは老人人生の最善だと思う。もちろん”後期高齢者”となったら「悠遊自適」とか「優雅な余生」が送れるならそれは幸せだろうと思う。単に願望ではなく富裕層では何ら心配などなく「優雅な余生」を楽しんでいる方々がおられることだろう。羨ましい限りである。

 「下流老人」に組み込まれない<候補老人>であっても、今と今後を生きるために「働き続けている」のが現実である。そしてほとんどは「働ける間は働こう」と考えているのだ。それが最良の人生ではないだろうか。

 考えてみよう「働ける」ということは「働きたい」という意思も必要だが何よりも「健康」でなくてはならない。だから「健康」の間は「働きたい」のだが、職場「雇用主」があるかが問題になる。高齢者雇用の開発は本人だけでなく行政も心掛けてほしいものである。

 「死ぬまで働く」(かざるを得ない)現実は、政策的な貧困であるのは当然すぎる。そうした現実の中で老人は「働ける間は働き」さらに「働きながら昇天できる」ことが最良とも考えるのだ。つまり「働けなくなった後の暮らし方」を考えたら、いかに他人の助けを借りながらの人生になるかわからない。大げさに言えば社会の損失にもなるだろう。

 誤解されては困る。福祉制度の充実や共助の生活を否定するのではない。むしろ実現に向けた奮闘を応援している。だがいわゆる「ぴんぴんコロリ」を願うものとして「働きながら昇天」が最善だと思う。それまで健康を維持することがさらに最善であるということ。

引き返しできない後期高齢者の気分

 一本道でも場合によっては引き返すこともできるのだが「後期高齢者」の門をくぐると引き返すことはできない。愚かなことだが当たり前のことに気が付き頭が重たくなった感じがする。

 昨年は、すぐ上の兄が他界した。90歳を前にする姉が入院し長引いている。友人知人の話にも病気のことや連れ合いの病状、老老介護の話などが増えてきた。元気で話ができるうちは良いのだがこのような状況がいつまで続くだろうか。いずれピリオドを打つのは決まっている。

 特に「後期高齢者」の門をくぐったとたんに今までと生活サイクルが変わらないのに「体調の変化」が気になりだした。この7~8年間健康診断を受けたことがなかったが、正月明けに診断結果の説明を受けた直後に目眩がしてしまった。これなど気分の問題だろうかはたまた身体異変なんだろうか。いずれにせよ「後期高齢者」らしい体力になってきたのだと思う。

 それだけではない。この寒さや大雪のために野菜をはじめ食料品が値上がりしている。それを「デフレ脱却」のために政府が誘導しているらしいことを知ると腹が立つのだ。パート収入でようやく夫婦が生き延びているのに、モノの値上がりは真綿で首を絞められている感じである。パート仕事はいつまで続けられるだろうか。最近の体調から考えると「長くて2年だろう」。その時期はオリンピック前後だろうか。パート収入が絶たれたころオリンピックなどで騒いでいられる状態ではないのだ。

 さらに、その時期は消費税率が引き上げられることも引き返しのできない苦しみの始まりだろう。今も減り続けている年金はさらに減っているだろう。

 政府主導による「デフレ脱却」を目指した物価の押し上げ、消費税の引き上げ、年金の引き下げがこれから襲い掛かってくる。当方にとってはパート収入が途絶えてしまう。今でさえ市民農園で作った野菜でつつましい生活を維持しているのに、収入がどんどん減っていったときどうするか。

 後期高齢者の体調を考えると医療費はずしりとのしかかってくるに違いない。そのうえで人の助けを必要とする時期もそれほど遠くないだろう。それは1人ではなく夫婦が揃ってということもありえるのだ。

 もの本によると「平均寿命」のほかに「健康寿命」というのがあるらしい。男の場合その開きは約9年とか。「健康寿命」後でも人の助けを借りながら8~9年は生きることができるといった感じだろうか。ということで「後期高齢」期で体調異変に気づいたら「健康寿命」に邁進していると悟るべきだろう。「健康寿命」を経ずに他界することはいわゆる”ぴんぴんコロリ”である。そのためには普段の人一倍の健康管理と努力が必要であることは間違いない。

 そんなことを考えると「夜も眠れない」気分である。それが病気の始まりになりそうなのだ。

沖縄「軍曹の美談」にびっくり

 その昔のこと、米国のベトナム戦争に反対したり沖縄返還運動に参加したことを想い出しながら今でも「沖縄」をめぐる様々な問題に無関心ではいられない。

 先に名護市長選挙では、自民・公明・維新の推す基地賛成派が当選し、現職の基地反対派が敗れた。ヘリコプター事故が相次いでいる中での選挙結果だけに、市民の意思判断は正解だったのかどうか判断に迷っている。どうも今回は宗教団体のテコ入れが当落を左右したとの報道があるから、信心深い方々の判断も良く理解できない出来ごとである。

 きょう(2月9日)の新聞では、昨年12月に産経新聞が報道したいわゆる”米国海兵隊軍曹の美談”なるものが、取材不足から削除、謝罪したと報道されびっくりした。 

 当方の驚きは、記者が海兵隊のみの取材で記事をまとめたこと。海兵隊に取材した記者は日頃の思考に従い”これはニュースだと”思い込んでしまいある意味で小躍りしながら記事を仕上げただろうと思う。ここには事実の検証よりも「海兵隊の説明に間違いはない」といった日頃の社内的雰囲気が先行したのではないかと懸念する。

 もう一つは、ちょうど2ヵ月後の”謝罪”ということ。検証には時間がかかったと思うのだがなぜ「これまで長引いたのか」との疑問がある。

 マスコミの姿勢が問われているときだけに非難や訂正、謝罪のない新聞、テレビのあり方を望んでいます。

「貧困ライン」が下がるということは?

 マスコミ報道によると「貧困ライン」が話題のように感じる。どのようなことか素人なりに考えてみました。 

 まず「相対的貧困率」というのがあるそうだ(これとは別に「絶対的貧困率」という考え方もある)。これは、等価可処分所得に従い全国民を並べたとき真ん中に位置した人の額を「中央値」とし、その2分の1の額を「貧困線」と呼びます。このライン未満の所得の人たちの割合が「相対的貧困率」というわけ。マスコミでこれらの問題が取り上げられた模様です。

 この間、相対的貧困率は9%前後を上下しているらしい。1999年が9・1%、2004年が9・5%、2009年が10・1%、2014年が9・9%である。もう一つの「貧困ライン」は、99年が157万円、04年が151万円、09年が140万円、14年が133万円と下がり続けている。貧困ライン(中央値の2分の1であるから)は中央値に連動するために生じた結果といえそうだ。

 貧困ラインの所得額が下がるということは、「ライン」以上の人たちは「貧困」から脱出したとみなされるわけだ。本当にそうだろうか。09年には年所得140万円未満が貧困層とみなされたが、5年後には133万余の人は貧困層とはみなされなくなった。いま現在から見ても3年ほど前のことである。 

 先の、『週刊現代』の記事は「アンダークラス」が激増し続け、これは「格差」ではなく新しい「階級」を形成していると強調しているが、こちらの方が現実感がある。

 可処分所得の「中央値」が下がったことは、低所得層が増えた結果だろうと推測する。それにつれて「貧困ライン」が押し下げられるわけだが、ラインを少しでも上回った人たちを援助対象から除外する論理に仕立て上げるているようで悲しいことである。

 もっともっと学習を重ねたいものである。

アンダークラスの出現に衝撃

 週刊誌の記事に誘われて講談社の新書版『新・日本の階級社会』(橋本健二著、本体価格900円)を買って懸命に読んでいます。興味深いテーマではあるが、データの多さや幅広い視点があり脳梗塞気味の老人にはなかなか難しい。

 新書は、格差社会が厳しく固定化している現実を詳しく述べながら、現実はいまや「新しい階級社会」を構成しているというわけだ(読み違いならご勘弁ください)。

 著者は「階級」とわ何かを解説しながら、労働者階級の中に「アンダークラス」が堆積し激増している現実に目を向ける。現実社会の中でこのクラスの出現を「新しい階級」ととらえている。新書のポイントともいえそうだ。

 わが国の階級は、資本家階級から労働者階級へつながるのがほぼ一般的認識。その労働者階級の中で格差が固定化しいまや最下層「アンダークラス」が就業人口の14・9%、929万人を占める最大の階層になっている。この層は、パート主婦を除くパートやアルバイト、派遣社員で構成され、平均年収186万円、貧困率38・7%というすごさである。この階層は今後とも増え続けるだろうし、孫子まで階層は引き継がれるだろうことを様々なデータで立証している。だからこそ「格差」ではなく「階級」と位置づけようというわけだ。

 しかも「階層」か「階級」の論議を超えて「アンダークラス」が現実に果たしている社会貢献を見ると、飲食や外食産業、コンビニ店、ディスカウントストア、配送業、清掃、保安業などが依存している。それらの職種はさらに広がり低賃金就業者を増殖している。それは「アンダークラス」を踏み台にしながら労働者階級、または中間層、そして資本家階級が比較的安定した生活を維持しているのが現実であるというわけだ。

 すごく納得する解説である。この現実から著者は”容認できないほどの格差を縮小させ、より平等な社会へ移行”できるようにするのが本書の狙いという。

 当方にとっては、なかなか難しい内容ではあるが「格差を縮小し平等社会に近づけ」たいとの目標に向かって余生を考えたいと思う。

 

井戸端会議で生活困窮者の話題

 知人との井戸端会議で「生活困窮者と消費」が話題になりました。当方も「貧困層」に近い生活のため知人の話には教えられることが多かった。

 知人の説明は大方次のような内容だった。

 俺は生活保護受給者とも付き合っているけど、彼らはいま本当に困っているよ。

 いまの世の中は金持ち、富裕層だけが資産を増やせるけど、生活保護を受けている人などは減収に追い込まれて、それこそ「明日どうするか」で悩んでいる。なかには「きょうの飯をどうするか」思い悩んでいるんだ。

 そのうえで生活保護の経費を減らすというのは「真逆」の政策だよ。

 考えてみろよ、困窮者世帯に月1万円づつ援助したとすると、貯蓄などできる状態じゃないんだからそれはみんな食費などの消費に回る。それは間違いない。逆に資産がいっぱいある世帯に補助したら全然消費に回ることはないんだよ。わかるだろう。だから困窮者世帯に補助することは、それが全部消費に回るから国の消費経済が大きくなるわけよ。税金の無駄遣いではなくすべてが消費力を高め、回って商店の活力にもなるわけよ。

 生活困窮世帯の補助を無駄扱いする政府の政策は自国経済の首を絞めているようなもんだよ。わかるだろう。

 ざっとこんな調子であった。

 なかでも子育て中のシングル族は最も悲惨だという話であった。

 生活困窮者への援助や補助費が、貯蓄ではなくすべて消費に回るとの説明は理解しやすかった。富裕層の優遇措置を実行するよりも経済循環に役立つだろうと納得した次第。