集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

膝の痛みで整形外科にお世話になる

 参った参った。きょうは膝が痛いのでついに整形外科にお世話になることになった。

 最初にレントゲン撮影から始まった。それを見ながら医師は「半月板のところに水が溜まっているのが直接原因」という。加齢による筋力が弱まっていること、体重が重くなっていることなどが考えられるという。それでしばらくリハビリを重ね、その経過を見て次の手を考えましょうという。

 なるほど。転んだわけでもない。はずみでぶつけたわけでもない。それなのにだんだん痛みが強くなっているみたいで、これでは医師の判断に頼るしかないと。まだパート仕事に影響はなさそうなので、早めに回復したいと思う。 

 リハビリ会場は、何やら騒然とした感じ。あちらこちらにいろんな機械があり若い女性たちが走りながら患者に対応し、機械を操作している。若い男性は患者と向き合いながら筋トレを手助けしている。当方もレーザー照射とか電流マッサージのようなリハビリを重ねた後、膝を曲げたり伸ばしたりを繰り返し、階段3~4段を上り下りした。簡単な筋トレ方法を教わり、きょうの診察とリハビリは終わった。

 薬店で痛め止めなどを処方してもらった。

 気分的に楽になった気がしたが、診察初日で痛みが取れるなど考えられないから、これからのリハビリに努力する以外に回復の道はないだろう。加齢を乗り越えるリハビリに努力したいものである。健康こそが「幸せ」の条件であるのだから。

 

オール沖縄勢力の勝利に感謝

 沖縄に行ったことはないが、沖縄の首長選には関心をもっている。沖縄県知事選、豊見城市長選、那覇市長選と続いたが、いずれも「オール沖縄」勢力が推す候補が当選した。これを「3連勝」と誇るマスコミもあるが、沖縄県民の意思が明確になったということは間違いない。当方も選挙結果に心から感謝したい。 

 前にもメモしたが、20代半ばのころ夜間大学に通っていた時分、沖縄出身の後輩がいたこともあり、復帰前の「沖縄研究」に取り組んだことがある。もちろんそのころ仲間たちは「沖縄の祖国復帰」「沖縄を返せ」の運動に意欲的に取り組んでいた。

 そのころの気持ちは、今でも変わっていない。沖縄返還闘争に意欲的に取り組んだ行動力は弱まったが、気持ちはあのころと変わっていない。だからこそ、沖縄県民が「オール沖縄」勢力を押し上げたことに感謝したい。その先に基地返還や地位協定の見直しなどが見えてくるものと信じている。

 引き続き「オール沖縄」勢力のご支援をお願いいたします。

何が何でも消費税10%はけしからん

 マスコミは、政府が来年10月から消費税率を10%にすることを改めて表明したと伝えている。新聞、食料品、酒は軽減税率として8%のままらしい。ほかにクルマと住宅については減税措置を考えているらしい。さらに中小店の場合2%還元を認め、その分を援助するらしい。 

 当方は、どんな施策を整えようが10%への増税は許せません。死活問題だからである。やめるにやめられない「酒」がいまの値段で買えるからと言われようが、そんな「うまい話」に乗れない。税金は社会保障に使い、貧困と格差を是正する方向に踏み出すからというかもしれないが、100円の物を買うたびに10円の税を支払うのは、積もり積もってどれだけの負担になるか考えてみてくれ。これ以上苦しめるのはやめてくれ。

 一つだけ、総理の最終判断は「まだ決まったわけではない」らしいことに期待を持つことができる。総裁選の不支持票が多かった。最近の支持率は決して良くない。来春には地方選挙が控えている。その後には参院選が行われる。世界経済だって問題があちこちで発生している。いまのうちに世論を盛り上げて、総理に「とても税率アップできない」と思わせることが大事な点だ。

 「消費税10%けしからん」の看板を高く掲げて連日永田町に出かけようではありませんか。99%の庶民として行動に出ることが何よりの意思表明である。

 さあ、出かけましょう。

「幸せ」は金で「買うもの」ではない

 我が人生「貧乏からの脱出」の人生である。それが「不幸」であったかどうかはわからない。といって「幸せ」だったかといえば「そんな気持ちにもなれない」のが本音である。

 朝日新聞11日付では「お金で幸せになれる?」のタイトルで、著名な方々のインタビュー記事を掲載している。タイトルは別にしてリードで「お金でどこまで幸せを買えるのか」を著名人に聞いたと書いている。どうもこの辺りがいわば「外れている」のではないかと思う。優秀な記者に向かって言える立場にないが、「幸せ」は”売り買いできるモノ”ではないことを前提に企画してほしかった。 

 著名人は「いまの日本は幸せな国じゃない」(ボランチィアの尾畠さん)と言う。上場会社の会長・兼元さんは「現在の日本は、お金があっても、孤独で幸せではない人が増えている気が」するという。そして「いまは企業も労働者も」「お金のために働く世界になって」(コーヒー店主の影山さん)いると指摘する。当たっているかどうかわからないが人も組織もお金に振り回されており、その社会では「不幸せ」ものが増えているように感じているのだろう。そんな感じである。 

 この企画は「幸せ」を主題にし、そのリードで「お金はないよりあった方がよい」と書き出している。当たり前のことだが「お金」はその使い方により「幸せ」を産んだり「不幸せ」を招いたりする。同時に「お金」のあり方が「所持者」の人格さえ変えてしまう、そうしたある意味で「魔物」でもある。その「お金」で「幸せ」を「買える」発想はおやめくださいといいたい。

 老人は「幸せ」は身の丈に合わせたものだと考える。お金は「あった方がよい」が、お金の「大小」で「幸せ」は決められない。億万長者がもし「健康でなかったら」、「家族がおらず孤独であったら」本当に「幸せ」だろうか。仮定の話だが老人は「ノー」という。短絡だが「お金」よりも「健康であること」と「家族に恵まれる」ことが「幸せ観」を高めると考える。逆に「家族はいる」し「みな健康ではある」が「お金がなく困っている」場合もあるだろう。しかし「家族」と「健康」が備わっていれば「何とかやって行ける」ような気がする。 

 「幸せ」は「お金」で買える「モノ」ではない。同時に「幸せ」は「モノ」でないから「見えない」その人の「気持ち」や「心」にあるだろう。といって「家族」「健康」「お金」のどれかが欠けては一般的に「幸せ感」は小さくなるだろう。

ドーナッツの経済学?

 世界の経済をドーナツで考えるという話題がテレビで紹介された。その内容をじっくり観たわけではないのでほとんど忘れていた。それだろうと思われることを朝日新聞が10月13日付で取り上げていた。タイトルは「21世紀のための経済学」。ケイト・ラワースという経済学者へのインタビュー記事である。 

 丸いドーナッツに世界経済を収めて21世紀を考えるということのようである。大事な点は「経済成長」を基本とした今後の生活のあり方を是認するかどうかにありそうだ。つまり「経済成長」がゼロとかマイナスの中でも世界の人々が「生きてゆく」経済学が求められているというわけだ。素人ながら「なるほど。なるほど」とうなづきながら読み返した。

 記事では「作って使って捨てる」という生産・消費構造を作り直すこと。そのうえで「富を分配」する仕組みを変えることだそうである。「富の分配」では、地価税とか土地の共同利用を提案している。またグローバル企業(経済活動)への課税強化なども提案している。 

 指導者が「立派な人」なら、社員とか国民が「幸せ」になれるという経済の仕組みでないことは明らかでしょう。地球上の諸問題をリンゴにたとえようがドーナッツにたとえようが「貧困と格差」は容易に解消されないのが現実。右肩上がりの「経済成長」依存ではない経済の仕組みを提案模索、試行することに期待しています。

 老人は、あらゆる面で「もったいない」の気持ちをもっともっと広げてほしいと思うものです。

懐かしい大豆料理たち

 同級会では「郷土食」が話題になった。その筆頭が「豆腐田楽」である。

 思うに「豆腐田楽」は豆腐の上に味噌を塗って焼いたものだから、ほとんどが大豆からできている。それを考えると「大豆」(まめ)を材料とした料理の多いことに関心した次第である。

 まず「豆腐」があり、それを凍らせた「すみどうふ」(高野豆腐)、製造過程でできる「きらず」(おから)や湯葉も欠かせない。味噌は、豆を大きな釜でゆで上げてわらで編んだ大きな「つまご」を履いて踏みつぶし、それを頭大のボールに固めて(みそだま)囲炉裏の上でいぶし乾燥させる。しばらくしてから大きな大きな樽にボールを砕きながら塩と混ぜ合わせながら入れておくとだんだん発酵し「たまり醤油」が浮いてくるので、それは「醤油」代わりに使える。そのころ「味噌」は食べられるようになる。ほかに「納豆」もある。 

 大豆を硬いままで利用すると「黄な粉」が代表例だろう。もちろん豆を炒めて練り菓子に混ぜることもある。炒ったまま食べることもあった。「まめすっとぎ」は「大豆」でも種類が違うものだったと思うが、定かではない。

 「小豆」(あんづき)、「あんこ」に使うことが多かったようだ。郷里で「まんじゅう」といえば、「あんづき」を少しつぶして、大人のげんこつ大に丸めて小麦粉の薄皮で包んだものだった。よく祝いごとや法事など人が大勢集まる時季に使われていた。小豆餡汁に幅の広いうどん(ひもかわ)を入れた「あんずきばっとう」という料理があった。これは子供に人気であり同級会でも「あれはうまかった」と懐かしい思い出話になった。

 

 

子どものころのおいしい食べ物は? 

 10月7日の同級会で話題になったのが、子どものころの食べ物の話し。

 こどものころというのは、昭和27~30年(1955年前後)以前と言えるでしょうか。

 村の多くは炭焼きに従事しながら畑作で自給自足に近い生活をしていた。田圃はないため稲作は全くなかった。ということで、稗と大麦が主食である。今では雑穀がヘルシーとかで話題にもなるが、当時は食の貧困そのものであった。ほかに小麦、粟、イナキビ、タカキビ、大豆、小豆、ソバなどが畑作穀物であった。それにジャガイモ、大根、ニンジン、ゴボウ、キュウリ、トウモロコシ、ささげ(インゲン)など。さらに季節の山菜やキノコ、川魚などが食材に加わった。 

 いまに伝わる伝統食は「豆腐田楽」「軍配餅」だろうか。とくに「田楽」はこの地の田楽こそが一番だと「口をそろえる」ほど、思いで深い味である。ほかに懐かしく思うのは「豆すっとぎ」とか稗の粉で作った「すっとぎ」。または小麦粉で作った「背中あて」(四角い作業具から)も想い出のおやつである。

 そうしたなかに山菜の根である「ところ」や「くず」、「ぜんまい」または「カタクリがあるから驚きでもある。いま、葛粉やぜんまい粉、カタクリ粉を使った食品やお菓子といえば高級品である。それが山奥の人たちはごく自然にそれらを手に入れていたのである。だが、「ところ」(山菜の根っこでひげいっぱい)だけはいまに伝わっていない。その「ところ」を当時の人たちは食材として飢えをしのいだのである。 

 同級会での話題をヒントに、昔の地方食や方言についてもメモしようと思う。