集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

バブル崩壊の足音って本当ですか?

 夜になって気になる記事を読みました。朝日新聞「波聞風問」という編集委員の記事です。見出しはバブル崩壊の足音が聞こえる」というから、当方なりに熱心に読みました。

 これまでの人生で、いわゆる”バブル”に遭遇しましたが直接的なダメージを受けずに過ごしてきたと思っている(本当は様々な形で影響を受けているのだが少しだけ違う世界と見ているに過ぎない)。

 記事は、「米国の家計が持つ株や不動産など純資産額の異常な跳ね上がりだ。90年代までその総額は可処分所得総額の5倍ほどだった。いまは7倍近い」との専門家のコメントを紹介しながら、”バブル崩壊の足音を感じているようだ。専門家といえども今後の予測が「的中」するとは限らない。

 当方が気になったのは、バブル崩壊後の対応のことである。記事は「政府・中央銀行が手厚い経済対策を打ち、空前の金融緩和に乗り出した。結果として資産価格は回復し、市場や投資家は窮地から救われた」と解説している。

 そして米国でバブルが崩壊すると日本も道ずれにされるのが現実である。さて「わが国」はどうするのかと問いかけている。

 年金とパート収入でその日を過ごしている高齢者ゆえに直接的に「崩壊する資産」などない。ただ、消費税率が引き上げられそうである。年金が減りそうである。そのうえで国の景気がバブル崩壊に巻き込まれたなら老人の生活は大痛手をこうむること間違いなしだ。それに引き換えて「市場や投資家は窮地から救われ」ることになる。

 そんな「バブル崩壊」と「経済対策」はご免である。パート高齢者の感想である。

カイコやテンサン飼育に取り組む先生方へ

 暑い!!熱い!!!と、いうだけでは気分転換にもならない。そんな日々ですね。

 昨日の朝日新聞の記事を読みながら想い出しました。テレビで有名な俳句の夏井いつきさんのインタビュー記事です。と言って、俳句を作ろうかという話ではない。

 夏井さんは、俳句の底辺を広げようと「俳句甲子園を企画したそうである。それが21年も続いている模様です。関連するインタビューに答えて「俳句に熱心な先生が赴任し、飛躍的に成長した」例があります~と答えている。なるほど、なるほど。 

 そのころ、当方は「野蚕=ワイルドシルク」に関心をもちはじめ、小学校や中学校でカイコやテンサン(天蚕)飼育に取り組んでいる事例の情報を集め、時に100人(ヵ所)ほどに届けたことがある。そのころからなんとなく気がついてはいたのだが「〇〇に熱心な先生が赴任」しているかどうかによって、カイコなどの観察が続いたり中断することを再確認した次第です。

 近年では、部活などから先生の仕事が多忙を極めることが問題となり、話題ともなっている。昆虫から小動物の飼育観察では、ニワトリやうさぎ、さかなやカブトムシなどが多いように思う。それでも20年ほど前のことカイコやテンサンなどの飼育観察に取り組んでいる学校は全国に散らばっていた。なかには地元のテンサン飼育グループの助けを借りながら「カイコの一生」シルクによる作品作りに取り組んでいる例が見られた。最近は少し減ってきているような気がする(これは実証ではなく感触である)。

 当時から、理科や生物の時間に解剖実験などに取り組む先生がいなくなっているからとの感想を聞いたことがある。次第にその傾向が高くなったのかもしれない。同時にカイコやテンサン飼育に精通している世代が少なくなってきていることもあるだろう。

 ただ、カイコやテンサン飼育は、この種の昆虫の特徴である完全変態や繭糸から絹(シルク)ができ、それが機能的にも優れた衣服になること、その養蚕業がわが国の産業と経済の基礎を作ったことを学ぶことができる。そのように多面的な「学び」の要素を持ち合わせていることを知り、ぜひ「カイコやテンサン飼育」に取り組む先生が増えることを願っています。

消費者の意識が変われば「大量廃棄」は改まるのか

 衣服の大量廃棄に関して考えることをメモします。 

 当方は高齢者ゆえに、新しい衣服を買うことはほとんどない。普段は、現役時代のサラリーマン服を着るとか作業着は畑仕事で着るなどまだまだ利活用できる。それとリサイクルというか古着屋で必要なものは入手する。冠婚葬祭といった改まった場面の服装はその場で考えるとして、普段の生活では十分に間に合っている。 

 それは、ごく普通のファッション感性ではないと言う人が居るかもしれない。そうだろうと思うが、高齢者の収入からすれば十分ではないかと思うのです。確かに知人で年に何回か「夫婦でクルージング」を楽しんでいる人もいる。それなりに「気を使った服装」を心がけているだろうと想像する。それはいわゆる「庶民生活」とは違うような気がする。 

 サラリーマンや現役世代、若い人たちのファッション感覚、または衣服消費感覚は異なると思う。それは「使い捨て」と言っても良い「着回し」かもしれない。着回しは、循環に通ずると思うが「使い捨て」は言葉通りの「廃棄」であろう。論議にもあるように「着回し」、ネットなどを活用した「循環」型に意識を移してほしいものである。

 同時に、衣服製造の大量生産方式には様々な問題点があるように思う。おそらく、低コスト大量生産を前提にした工場の仕組みがあるのだろう。そのために現地では、それなりの経費削減策が行われ、低賃金や年少労働も行われているのだろう。そうした背景を店頭の「シャツ」や「パンツ」は見せてくれない。単に「安いけど個性的」を表現し、販売員も「新鮮感」を強調する。

 そのようなアパレル流通の仕組みをもっともっと明らかにしてゆくことがマスコミの役割かもしれませんね。単に「消費者がもっと賢くなることが大事」というだけでは、本質的な改善にはならないような気がします。

衣服の大量廃棄の深奥を考えましょう

 衣服の大量廃棄の現実に関心を向けると様々な問題が浮かんでくる。それが先に朝日新聞が掲載した記事の内容である。

 衣服の製造・卸・小売りといった流通形態が近年になって大きく変わってきた。ユニクロに代表されるが、衣服小売業を主体にしながら自ら企画し製造発注する、卸業抜きの形態が一般化してきたことにある。それが衣服の価格を引き下げ、顧客の求める「安くて・個性的」に対応することをかなえた。しかも「早く」にも対応する仕組みを編み出してきたといえる。 

 ユニクロの事業形態を「悪者扱い」する気持ちはない。問題なのは、衣服の大量廃棄に結びつく、低コスト・大量生産競争にあるだろうと考える。低価格の実現には、大量生産と低コスト=低賃金が欠かせないだろう。そこに潜むのが途上国などの低賃金労働者の活用だろう。それに年少労働が加わっているとすると問題はさらに批判を受けるだろう。

 衣服販売業が店舗を増やすのは自由競争ですから何ら問題はない。しかし、店舗には必ず「売れ残り」が発生する。それはセールやアウトレットで販売されるが、もともと生産されたすべてを販売消化することは無理に近い。それを実現するためには「限定生産」しかないだろう。従って顧客は「新しいものを求め」るために「手持ちを転売する」リサイクルショップとか通販を利用することになる。それでも流通量はセーブされることなく「量産」が続くのが現状だろう。

 そこで「大量廃棄」が問題となる。大量廃棄されても「利益」を生む仕組みがあるのだろうか。それがあるとすれば「価格」に問題があるか「生産コスト」または「流通コスト」に問題があるのだろう。同時に「大量廃棄」品の活用であるが、世界には「まっとうな衣服を求めている」貧困層が多数いるだろう。その人たちを考えるなら「廃棄」方法を考えることはものすごく重要である。

 「食品ロス」と違って衣服には「消費期限」がないといっても良い。途上国の年少労働を活用する前に貧困層の生活向上に目を向けることが大事だと思う。その視点で「個性的」でありながら「値ごろ感」のあるファッションを提供してほしいものである。

 そのために消費者の「賢い選択観」が求められていることも確かである。

朝日で、衣服の大量廃棄を考えたい

 朝日新聞は7月3日付けをはじめ、衣服の国内供給量増える一方で購入単価が下がり、しかも大量に廃棄されている現状を様々な角度から点検している。衣・食・住の大事さを教えられた者としては”大量廃棄”の現実とその「根底」がもっと明らかになってほしいものだと思う。

 朝日新聞は3日付け1~2面を使って供給量の増大と購入単価の下落、大量廃棄の現実と問題点を取り上げている。また3日付け「文化面」ではファッション界にエシカル(倫理的)」の動きがみられることをまとめている。さらに5日付け「オピニオン面」で「服が安く買える社会で」有識者の意見を掲載している。一連の記事を読みながら「衣服の大量廃棄」を深く考えたいと思いました。 

 安くて個性的なファッションを求める消費者(顧客)に対応するためにアパレル企業は経営努力を重ねながら製造コストの安い工場や生産国を求めて行き、途上国などで生産された製品を扱うようになった。その間に「製造・販売」を一体化した経営スタイルも登場し、安くても個性的な洋服が素早く買えるようになってきた。そうした競合が激しくなる中で、大量生産、低コストが大きな流れとなり、結果的に「大量廃棄」も生んでいると思う。

 そうした裏側の問題点として、貧困層の存在、低賃金労働者活用依存、生産関連素材の浪費などが浮かび上がってくる。

 これらに対応するため、国連は「持続可能な開発目標(SDGs)」を2015年に採択し「つくる責任、つかう責任」を提唱しているという。ファッション界では、毛皮を使わない、モヘア羽毛を使わないといった動物愛護の視点を打ち出す例が増えているようだ。ほかに環境負荷を抑えた素材発掘や輸送コストの削減なども見られという。こうした思考をエシカルと呼んでいるようだが、それが消費者の「胸に響くか」は未知数のようだ。

 ほかにフェアトレードの思考もある。ある識者は「循環型社会」の広がりに期待しているようである。食糧分野の「食のロス」と同様に「大量廃棄」とか「浪費」の現実の深奥を考えてゆきたいものである。

プラスチック系から循環型を願う

 先日のラジオニュースで、プラスチック系ごみが海を汚している問題が放送されました。以前にも魚など海に棲んでいるものたちがプラスチック系のごみを飲み込んで困っているといった話題がありました。それに対してプラスチック系ごみを減らす・出さない取り組みが紹介されました。

 アメリカでの話しです。わが国でもよく知られるコーヒーチェーン店、レストランなどが取り組んでいるようです。例えばアイスコーヒーを注文するとストロー、ミルク、シロップがついてくる。それらの容器はプラスチック系でできている。もし海水浴客が不用意に捨てたとすると海水に浮遊してしまう。それを海水生物が飲み込んでしまうことがあるらしい。

 それを防ぐために、とりわけストローなどから自然に帰りやすいパルプ性に切り替えるといった取り組みらしい。先の有名店などが開始しているそうである。そうした取り組みが特定な店から企業数、地域とどんどん広がってほしいものである。

 街路樹の落ち葉はゴミですが、放置するといずれ土にかえるでしょう。それに代えてプラスチック系の製品ごみは、ごみであるだけでなく長い時間を経過しても土にかえることはない。海水生物のように体内に取り込んで苦しむことは自然の摂理に反していると思う。可能な限り早く自然に帰る循環型の製品に置き換えてほしいと思うのである。

6月の散歩は15回のみでした

 努力して続けていた6月の散歩回数は15回にとどまりました。残念無念。

 理由は、梅雨入りと腰痛と言える。気温が高くなるにつれ、時には低温を感じる日がありました。それに体調がついてゆけずに腰痛につながってしまったような感じがする。つまりは加齢に伴い気温の変動に体調が順応しなくなってきたということのようだ。それと梅雨入りで雨が続いたこと。 

 月末は、血圧の定期健診日に当たるので、近くの医院に行ってきた。腰痛の話をすると先生は「歩くのをやめてはだめだ。泳ぐのが一番だが、腹筋・背筋を鍛えることが大事だ」というので、7月から散歩を再開した。それはまた、気温が高止まりしたために腰痛も痛みを感ずるもののこらえきれないほどではなくなってきたためでもある。

 思うに、散歩のできる体力と体調を維持できる普段の生活を続けることが肝要といえそうだ。そんな生活を心がけようと思う。