集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

野蚕学会大会が開催されます

 日本野蚕学会の年次大会が9月28日(金)~29日(土)、上田市信州大学繊維学部 総研棟7階ミーティングルームで開催されるそうです。 

 予定は次の通りです。

 28日、13・00~17・30

     大会(一般講演、展示紹介、総会)と懇親会(会場は繊維学部生協)

 29日、9・30~15・00 

     公開シンポジュウム「テンサン産地の現状」

     大室農場の見学(天蚕の年複数回の飼育、母蛾検査、クヌギ苗育成など)

 参加費 3000円(学生2000円) 

 懇親会 4000円(学生3000円)  

 各種野蚕(ワイルドシルク)に関する様々な最新情報、知識が得られます。またワイルドシルクを活用した製品を手に取ってじっくりと見ることができますし、疑問点について話を聞くことができます。多分昆虫食についても最新の情報を得ることができると思います。

 ぜひお出かけください。

 詳しい情報は   http://jsws.web.fc2.com

 

子どもの考える「平和」の意味

 8月は「平和」を考えるきっかけがいっぱいのようです。

 新聞によると広島の平和記念式典で子供代表が「平和の誓い」を読み上げたという。後半で「平和」について次のように表現しています。引用紹介します。

  平和とは、自然に笑顔になれること。

  平和とは、人も自分も幸せであること。

  平和とは、夢や希望を持てる未来があること。 

 高齢者は、戦争や争いがないから「平和」な世の中だと感じているように思う。そうだろうかと思い辞書で「平和」を調べると”争いや心配事がなく穏やかであること”とある。なるほど。

 子どもの考えている「平和」の方が具体的であるようにも見える。現実に高齢の当方の場合、日常的に「自然に笑顔」になれるだろうか。他人も自分も「幸せ」だろうか。そして夢や希望のある「未来」を描けるだろうか。確かに”身近”で戦争は起こっていないが、それで「平和」とはいえそうにない。そんな現実だろうと思う。

 誰かに「幸せか」と言われれば「そうです」と答えるだろう。しかし「本心はちょっと待てよ」が現実である。だから「自然に笑顔に」なれないのが現実でもある。ましてや「夢や希望の持てる未来」を手中にしたと考えるのは浅はかであろう。これらは自分自身のことである。

 やはり、私の人生「平和」ではなかった。おそらく、それは「貧困」や「格差」にたどり着くだろうと思う。いま現在も大きな課題である「貧困」と「格差」の”解消”に関心を向けて生きる老人である。

野蚕と紫外線カット

 猛暑続きの中テレビは日傘(パラソル)を話題に取り上げていました。パラソルはおしゃれな女性用のものとして考えられていましたが、熱中症対策として男女を問わずに日傘を利用した方が効果が上がるのではないかといった解説でした。とりわけ日中に高齢者が外出する際には日傘を携帯することがおすすめというわけです。

 少し角度を変えてパラソルを考えました。女性がパラソルを愛用するのは「いつも美しくありたい」との願望からだと思います。それは紫外線が皮膚を傷める要因であり、それを少しでも防ぐためにパラソルを利用するというものでしょう。一般的に様々な分野で「UVカット」の効用が言われるのが実例でしょう。 

 さて、野蚕(ワイルドシルク)糸には「紫外線カット」効果が高いことがよく知られています。そこでワイルドシルク生地を使ったパラソルは、売れ行き好調だそうです。よく知られるのは、インドが主産地のタサールサン(ターッサーシルク)とかムガサン(ムガシルク)によるパラソルということです。 

 関連商品としては、帽子やアームカバーも話題のようです。猛暑だけでなく「紫外線カット」の製品にも目を向けたいものです。そこに「ワイルドシルク」がありました。

7月の散歩は21回でした

 できる限り散歩しようと努めて来ましたが、7月は21回にとどまりました。まあ努力賞でしょうか。

 猛暑、台風などのため散歩の機会を逃すことがありました。その結果が21回でした。いまはほとんど4時30分ごろスタートしていますが、このところ日の出が少しずつ遅れているようです。少しでも涼しい間に歩こうと努力していますが、暑さが強まると気分的にスタートできないこともあるかもしれない。

 まあ、無理のない散歩を8月も心掛けようと思います。

朝鮮戦争のころ小学生だった

 朝鮮半島を分断した朝鮮戦争の休戦から65年が経過したとしてマスコミはいろいろと話題にしている。振り返ると、朝鮮戦争が始まったのは1950年6月。そして休戦協定が結ばれたのは1953年7月27日である。

 そのころ当方は、東北の山奥でほぼ自給自足の生活を送っていたが、父親が朝日新聞を購読していたので朝鮮戦争の現状を示す地図を見ながら「どちらが強い」のだろうかといった興味本位で南北の攻防を見ていた。何しろ戦争勃発時は8歳、休戦協定成立時は11歳で小学6年生だった。しかも山奥のことだから外国の戦争のことはまず話題になることはなかったといえよう。 

 そのころ新聞は半島の地図に矢印を大きく載せて南北の勢力状況を報じていたように記憶する。最近の新聞報道によると北側が釜山をも支配下に置いた時期があったということを知った。また、第2次大戦が終わってから北側をソ連(当時)が支配し、南側は米国が支配することになったなどの歴史的事実も改めて理解できるようになった。

 1953年7月から65年も過ぎたことし、米朝首脳会談が開かれた。その結果を手放しで喜べるかどうか疑問も残るが、分断されてきた半島の民族が統一されるかもしれないという期待が高まる。北の核兵器放棄、南北をつなぐ鉄道の開通、米軍死者の遺骨の返還などこれまでになかったいくつかの動きが具体化している。この動きに期待してやまない。 

 このような動きが加速し半島の民族が統一されたと仮定して、これからの地域的状況を考えるとものすごく大きな変化が起こるだろう。つまり、北朝鮮を仮想敵国としてきたわが国の平和構想を変えざるを得なくなる。人々も認識を改めることになるだろう。そうなることを期待している。

生産性って~物やサービスに使うことでは?

 「子どもを作らない、つまり『生産性』がない」。このような「ことば」が切り取られて大論議されている。一般に”先生”と言われる「偉い人」の言葉だけに見逃すことはできない。しかも、自民党という(その前は「次世代」だそうである)与党に属する人の思考というから、それを擁護する政党もほぼ同じ思考と考えてよいのではないだろうか。残念なことである。

 マスコミ論調はそれぞれあるようだが、当方が違和感を覚えたのは「生産性」という言葉の使い方である。浅学の当方は、「生産性」といえば経済学などの分野で、物やサービスを生み出すことに使われる用語と思ってきた。それを子供を産む(出産)かどうかに置き換えるのは、工場での人間ロボットの生産量と同じ意味で使っているように思えて仕方がない。生身の人間と工場生産される精密機械とを同じように考えていることになるので論外のレベルといいたい。

 メモするために「生産」について調べると「しょうさん=生産」という言葉もあるそうだ。これはまさに「しゅっさん」を意味するようです。先生は「しょうさんせい」と言いたかったとは、読み取れないのだから、引退をお願いします。

 新聞の中には、先生の思考を”援護”するような発言も見られるが、子供を産むかどうかについて「生産性」の言葉を用いる思考のレベルをも問うべきだと思う。

 

子どもの貧困に取り組む社長

 朝日新聞25日付に「子どもの貧困取り組む理由は」という社長インタビュー記事が掲載された。社長の会社はあの有名な証券会社。記事の見出しは「資本主義が生む格差解決したい」。貧困格差に取り組む社長の話ですから「まずは読まなくては~」というわけ。

 子供が通っていた幼稚園の隣には養護施設があった。小学校でも給食費が払えない子がいると聞いた。そのような体験から社長は「何とかしたい」とずっと考えてきたそうだ。手始めに施設に、匿名でおもちゃなどを贈ることから始め、社長になってから「寄付を目的にした基金」をつくるプロジェクトをスタートさせた。

 社長は「一企業が社会問題を解決できるとは思わない。それでも市場経済のど真ん中にいる人間としてできることを考え続けていきたい」という。 

 市場経済の真ん中にいる社長の発案と実行にまずは「拍手を贈りたい」。そのような社長が多数登場してほしいものである。とかく労働力不足の折だから、社員寮の建設とか社内保育所の開設などから始まるのでしょう。それから福祉施設などへの寄付も行われるかもしれない。いずれにしても「利益配分」をどのようにするかにかかっていると思うのだが~。

 問題は見出しにある「資本主義が生む格差」にあるわけだから、資本主義の大改革を目指しながらコツコツと「格差を生む土台」を改革提案実行してゆくしかないのだろう。どうも「働き方改革」による”残業代ゼロ”などとんでもないような気がする。飢えたる者よ起ちあがろう