集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

朝日「検証民進分裂」が教えてくれる

 朝日新聞が19日付から「検証民進分裂」を3回にわたって掲載した。総選挙前後の「希望」と「民進」の模様がある程度理解できることが”面白い”と感じた。

 連載で、前原がずっと以前から「民進」を解党したいと考えていたことが理解できた。それに枝野がある程度同調していたことも明らかとなっている。もちろん連合の役割も大きい。

 今回は”解散”が急展開(これは自民の狙いであった)したために「希望」と「民進」があたふたとことを急いだことが挙げられる。だが、そうだとしても「民進党」という政党はどういう議決機関を持っており、それに従って運営されているのだろうか疑問に思った。

 つまり、前原を代表に選出した。彼は以前から解党を志向していたのである。その人を代表に据えたのである。その後、都知事のコイケと内々で相談しているのだ。その代表が、どのような場”機関”で「希望」との合流を提案したのか。その提案をどれだけ論議したうえで承認したのだろうか。そうした経過から”民進党の正当性”が伺え知れるのだが、民進党の規約などに照らしての検証はみられない。いわば”その場の流れでことは決まる”式の政党の形態なのだろうか。なかでも、前原の合流提案に対して参加していた議員たちはどのような受け止め方をしたのだろうか、地方組織をどうすればよいのかなどの意識を持ったのだろうか。おそらく選挙は「どの党の看板が有利か」だけが頭の中を駆け巡っていたのかもしれない。情けない事態であったわけである。

 このように見ると、かつての民主党政権のつまづきに続く2度目のつまづきであり、一般庶民の民進党への期待はがた落ちだろうと思う。

迷惑な轟音と議場の品性

 早朝散歩の出来事です。朝5時ごろと言っても明け方とは思えないほど暗い感じの住宅地内を5~6台のオートバイが轟音を響かせて走ってゆきました。どう考えても仕事先へ急ぐような感じではなく、住民の迷惑など考えないいわゆる”暴走族”の仕業だろうと思いました。というのもバイクの轟音はしばらくその近辺から聞こえてきたからです。

 午後1時30ごろのことです。テレビをつけると国会中継中でした。どうやら安倍総理所信表明演説のようです。テレビ番組に興味があってチャンネルを合わせたわけではないのでしばらくそのままにしていました。しばらくすると総理の演説は終わりました。そのあと本会議場の議員の発言が映し出されました。発言内容はわかりませんが、何とも「品位」のない”迷惑”な発言でした。それははじめと終わりのことばの表現が「〇〇〇〇ま~~~~~す」というもの。白いペーパーを持っていたので読み挙げたのでしょう。本人が書いたものか、先輩議員とか幹部からの指示で読み上げたものか知らないが、何とも品位のない迷惑発言であった。

 もしこの発言の仕方を小中学生や高校生が学校で生真面目に行ったとしたら、教師はどのように対応するのだろうか。議員も先生と言われるが学校の先生以上に「品位」を重んじてほしいものだと愕然とせざるを得ない風景をテレビを通じてみてしまった。税金の無駄使いと言って良いのだ。

 この議員の表現方法は議場では通常な行為なのだろうか。だとするとなんとも”どうぶつえん”の風景としか映らない感じである。厳罰を期待する。この議員は誰だろうか。

 発言のあと議長が「これにて閉会します」といってトントンと木槌をたたいて終了した。不愉快な思いが続いている。

領収書発行に明細が無いのはなぜだろう

 先の日曜日に公園清掃のボランティアに参加した。作業が一段落したので皆でお茶を飲もうとコンビニで買い物をした。当方は当然のように”領収書”を求めると親切な店員さんは領収書を発行してくれた。領収書には買い物の総額が記入されているのみだったので、いつももらえる品目が解るレシートを求めると「これはお渡しできません」という。

 そういう仕組みになっているのかと思い、しつこく請求することなくその場を立ち去った。どこか気分的に「買い物明細があった方がよいのにな~」の気持ちが残った。

 その日の夕方、ボランティアで要望のあった品物を探して近くのホームセンターに出かけた。広いセンターではどこに探し物があるかわからないので店員さんのアドバイスに頼ることにした。なるほどこんな場所にあったのかと思いながら品選びを済ませた。レジで「領収書」を求めると、スムーズに「領収書」と品目明細が発行された。しかも領収書には担当者が簡単な朱印を押してくれた。

 コンビニとホームセンターのレジシステムには「領収書」発行で大きな違いがあることが分かった。おそらく客層や品揃えによりシステムの組み立てが根本から違っているのだろうと思う。ただコンビニに対して「領収書」発行とともに買い物明細(レシート)を手渡すことぐらい容易にできることだろうと改善を求めたいものである。

モラルの危機に関して

 先日の新聞で、アメリカの資産格差が深刻であることが報じられた。その記事の中に「モラル危機だ」との表現があり、”モラル”という言葉に関して若いころを思い出した。想い出は記事の”資産格差”とは全く関係ないことを断っておきます。

 若いころ当方は従業員組合の役員をしていたことがある。そのころ勤務している会社は最後の追い風から少し外れていたように思う。その前までは比較的順風満帆だったために遅刻など問題にされないとか勤務中に麻雀に出かける者が出ることもあった。そうしたルール無視の気風を直したい気持ちから職場集会で従業員の「モラル」の欠如について発言した。

 すると、遅刻常習者ともいえる組合員仲間から「モラル」が問題なのではなく「モラール」を問題にすべきじゃないか。言葉を「モラール」に訂正しなさいと突っ込まれてしまった。

 正直当方は「モラル」(道徳とか規律といった意味)と「モラール」(士気とか向上心)の意味の違いについて理解していなかった。英語に詳しい彼たちはしつこく食い下がってくるので、その「モラール」を高めましょうというような説明をした。 

 その後の組合集会で、当たり前のことだが「遅刻」などなくするように従業員自ら勤務態度を正すべきだと発言した。反論は「いまの出勤時間は私にとっては常識だ」というものだった。当方は「常識というものは、個人が決めるものではなく、社会全般に認められるものである」といった説明をした。彼は「遅刻は何が悪い。俺の常識だ」と開き直っていた。彼は次第に職場から浮いていかざるを得なかった。

 いわば従業員組合(労働組合)による職場改善の取り組みであった。そんな組合員間の論争を重ねながら経営者の体質も問いながら組合役員を長く務めてきた。 

 一つの言葉・ことばに関しての想い出である。

 

 

ソプラノリサイタルで緊張でした

 祝日「文化の日」から遅れてしまったがきょうは、親しい人に誘われてソプラノリサイタルへ出かけた。ふだんの生活から見るとジャンプしたような文化の雰囲気に包まれたひと時であった。その文化的時間というのは普段の農耕的な生活からするとやや緊張感の高まる時間でもあった。

 リサイタルの前半は童謡・唱歌の範疇だろうか「早春賦」、「舟唄」、「赤とんぼ」、「ペチカ」などが披露された。前半は少年から青年にかけて歌っていたような気がするのでなんとなく理解できたし、懐かしさも感じた。

 ところが後半になると、オペラ曲が続いた。これは当方の理解の外の”文化”であり緊張感の方が先立ってしまった。歌い手の質の問題ではないオペラに対する受け手の関心度合いの問題であること間違いない。 

 独唱発表会は映画や演芸と違い、受け手の素養により同調したり想像できる余地が限られるために楽しさよりも緊張感が勝ってしまう。そんなソプラノコンサートでしたが親しい友人に感謝です。改めて感謝。

10月の速足散歩は18回でした

 おなじみの速足散歩、10月は18回(日)にとどまりました。ちょっと少なかった理由は、台風21号と22号が荒れ狂ったことと法事で遠出したことです。季節の気候にめげずに頑張ろうという決意ではなく”無理をしない”のが基本の散歩であり、条件に見合った成果だと思っています。

 ラジオの天気予報を聞いていると「西の空は黒い雲に覆われた夜なのに、東の空を見ると小さな雲が赤く染まっている夜明け前」といったようなしゃれた説明が流れていた。ちょうどこんな時間に60分ほどの散歩を済ませて帰着するのが朝の慣わしである。それから60分ほどすると出勤時間になる。

 さあ無理せずに11月も散歩を続けよう。感謝。

民進から希望へ移った諸君は自身を振り返れ

 昨日のテレビ、今朝の新聞を読みながら民進党から希望へ駆け込んだ国政議員たちの身勝手さにがっかりし”愛想が尽きた”感じである。

 小池たんの旗振りで希望の党ができた。誰が仕組んだかわからないが前原が駆け込んで合流を一応取り付けた。そこに連合もいたのである。前原の提案を聞いてシャンシャンと合流を全員が承認した。前原は「公認」を得るといっていたでしょう。

 希望が公認するということは、希望の掲げる政策を実現するために働く議員を増やすのが狙いなわけだから、希望の政策に賛同することは当然のことである。原発、消費税、憲法共謀罪などの問題を含めて概ね共鳴するから「希望」の看板の下で選挙に臨むのは当然のことである。希望が掲げる政策は、私の主張とは違うというなら最初から同意しなければよかっただけの話である。

 マスコミによると、小池の発言が悪いとか前原に騙されたとか言っている諸君がいるようだ。実に情けない。国政の議員、民進党員であったなら、政党の主義主張や政策の違いぐらいわきまえていてほしい。移籍とか合流と言おうが、新党へ「入党」するわけだから、希望の規約や政策に縛られるのは当たり前である。そうしたことを真剣に考えずに風当たりの良い「看板」だけを借りようと考えた国政議員はこれから切り捨てられるのが当然である。

 コイケの責任だとかマエハラの責任だというなら、自分自身が民進党員として選挙民の前で何をやってきたのかを真剣に振り返るべきである。自分自身の信条、信念をもう一度見つめなおして、下野すべきであろう。国費の無駄遣いはやめてほしい。