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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

稗と大麦が主食だった

 栃の実に関する想い出を綴ったので、今回は当時の主食の穀類について書くことにした。

 家は奥深い山奥にあった。そこは山の中腹といった感じのため水田ができるような平地はなく水も澤水に頼っていた。ということで「コメ」が食卓に出ることはまず考えられなかった。

 主食の穀類と言えば稗と大麦(麦飯とも稗飯ともいわれる)のご飯である。大麦を町の精米所などで「押し麦」にしてもらうと少し白さが増してなんとなくおいしくなったような気がしたものである。この稗飯を弁当箱に詰めて中学校に持ってゆく。冬になるとストーブの上に弁当箱を乗せておくことが許され、何人かはストーブの上で温めて食べた。多くの人の弁当は白いコメが覗いてくるのだが、当方の分は稗と麦のために白さは全く見えない。なんとなく気恥しい思いをしたことを想い出す。

 しかし、弁当を持ってこれない人もいたし、稗や麦の耕作地がなくては主食穀類が不足するのは明らかである。コメは現金で買わなくてはいけない。それだけのゆとりがどれだけ整っていたか定かではない。むしろ稗や麦の耕作地があるだけでも一面豊かに受け止められたころである。

 ほかに我が家では、小麦、粟、イナキビ、タカキビ、大豆、小豆、ソバ、ゴマなどを栽培していた。小麦は小麦粉としてうどん類やまんじゅうの皮として調理された。粟はコメに代わる粟餅として食べた。大豆は豆腐やみそ、小豆はあんこなどとして食べた。今でこそ雑穀はヘルシー食材と話題になるほどだが、当時は貧乏人の食事としてさげすまれもしたのである。

 それでも、当時の雑穀食があったからこそ健康体の今があるのだろうと思うこともある。想い出ボロボロだが「健康な日々」に勝るものなしと勝手に思い込むことにしている。