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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

期末試験はさんざん

 夜間定時制高校に入学したのは男女共学で60人ほどだったと思うが定かではない。クラスがAとBに分かれていたのでそのように推測する。また学年によってはCクラスもあったので4学年では200~250人が在籍していたと思う。私は4年遅れの入学だったが、年上の新入生も4~5人いた。

 6月に中間試験があった。科目は国語、英語、社会(政治、経済)、数学、保健体育の6科目。私は数学で100点をマークしたもののほかは平均点を超える程度の水準だった。

 半年後の期末試験は、数学が幾何と代数、保健体育が保健と体育に分かれ、音楽が加わり9科目に増えた。結果は自己平均点が62・7点。数学ががくんと点数を下げたほか英語と政治では中間点さえも下回るありさまだった。反省点として「心構えができていなかった」とメモしている。入学したことの「安ど感」が強く「学習欲」が薄れていたためと思う。残念なことにこのころから英語の苦手意識が根付いてしまったような気もする。

 入学してしばらくすると担任の教師から奨学金を勧められた。私は「奨学金に頼るほど苦しくはないし、のちの返済負担を残したくない」との理由で断った。しかし、教師から二度三度と勧められ受給手続きをした。7月10日になると4~7月分として4000円が振り込まれた。つまり当時の日本育英会の高校奨学金は月1000円だった(年間1万2000円)。この返済が初めのうちはそれほど問題ではなかったが、20代後半になるとわずらしさを理由に返済振り込みをパスすることが重なった。30代後半になって何回も督促を受け困り果てた女房がへそくりで一括返済した苦い経験が残っている。今のような利子つき奨学金などやめてほしいものと痛切に思う。

 ちなみに当時の授業料は月額450円だった。参考までに歯ブラシ50円、パン20円、体操用タイツ680円などを支出し、2000円を貯金していた。今では歯ブラシなら200円ほどで買えるし、パンは100円~150円ほどだろうか。同じ倍率ではないところを見ると材質とか生産効率などの進展具合が反映しているのだろうと推測する。